干拓の歴史
トップページへ 邑知潟とは 干拓の歴史 邑知潟と漁業 邑知潟と農業 邑知潟の生物 おろち伝説
邑知潟と釣り 塩害と潮止水門 水害の歴史 邑知潟へ注ぐ川 羽咋川へ、そして日本海へ プロフィール
 江戸時代の邑知潟は現在の4倍の広さがあったそうです。この頃より干拓が行われ、吉野屋村(現宝達志水町杉野屋)の彦助という人が飯山川の川縁を埋め立てたのが始まりと言われています。この頃の干拓は川の上流部に土砂を放り込む「川流し」という方法で行われていました。その後、潟の泥を用いて(鉄砲切りという)堰堤を築く方法に変わっていきます。昭和の国営干拓により潟の4分の3が埋め立てられ今に至っています。
 お年寄りに聞くと干拓の田んぼは深く、腰まで浸かっての作業だったそうです。
江戸の干拓
明治の干拓
大正の干拓
昭和の県営干拓
昭和の国営干拓

国営干拓前の邑知潟

国営干拓後の邑知潟
左の写真と見比べてください。干拓を巡る水路が昔の邑知潟の形になっているのが分かりますか。

国営干拓の様子

干拓によって生まれた農地