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大むかし、邑知潟におそろしい「おろち」が棲んでいました。時々、はい出してきて悪いことをするので、人々は、大変こまっていました。なんとかしてこの「おろち」を退治しようと、人びとは神様の大国主命にお願いしました。
神様は「おろち」を退治することを引き受けましたが、広い邑知潟なのでどうやって探そうかと困っていました。すると、どこからか一羽の鵜が飛んできて「神様、わたしは邑知潟にいる鵜です。神様がおろちを退治してくださるそうですが、どうかわたしにも手伝わせてください。明日、私が見えるところまでおいでください。私が水面で羽ばたきをしたら、おろちは私をひと飲みにしようと大きな頭を水面にあらわすことでしょう。その時を狙ってうちとってください。」といいました。
神様は大変よろこび、次の日、大きな岩の上からじっと鵜をみつめていました。
水の上をゆっくり泳いでいた鵜は、やがて激しくはばたきました。すると、どうでしょう。やがて、あたりの水がゆらゆらゆれて、「おろち」がヌッと頭をあらわしました。
神様は弓に矢をあてて、力一杯引きしぼって矢をはなちました。
矢は狙いどおり「おろち」の大きな目玉につきささりました。「おろちは」邑知潟の水を真っ赤にそめてのたうちまわりとうとう死んでしまいました。こうして、神様のおかげで悪い「おろち」は退治され、人びとは安心して暮らすことができるようになりました。
四月三日に行われる気多神社の「蛇の目神事」はこの「おろち退治」の様子を伝えています。
大国主命がおろち退治で乗った大きな岩には次のような話しも伝わっています。
邑知潟は昔、「おろち」が棲んでいたので、「おろちがた」と呼ばれていました。この「おろち」に苦しめられていた人びとの話しを聞いた大国主命がこの岩に休んでいた夫婦の「おろち」を見事に退治しました。そこで、この岩を「夫婦岩」というのだそうです。この岩は羽咋市寺家町と羽咋市柳田町の境に今でもあります。
なお、この「おろち」の血が流れた道(路)という意味から羽咋市千路(血路)町の地名が出来たといわれています。 |
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