見附島から直ぐに行ける奥能登の名所旧跡シリーズ

吼木山 法住寺と西方寺・郷・鳥屋尾古窯群
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吼木山法住寺

珠洲市春日野法住寺地内。
見附島からは約4km、車で約30分の距離にある。 般若川沿いに中野地内からも行けるが見鳥から直接行く方が近い。山道は狭いが全舗装されており、着いた処は山門である。

西方寺古窯跡

珠洲市宝立町柏原西方寺地内。見附島からは約3km、車で約20分の距離にある。鵜飼川沿い県道26号の西方寺から左折し西方寺橋を過ぎて100m程の処に ある。

 
吼木山法住寺  

山号を吼木山(ほえきざん)寺号を法住寺(ほうじゅうじ)として9世紀初め弘法大師(空海)が 創建したと伝えられていることは「見附島あれこれ」で述べたとおりである。 明治年代に火難で焼失し古寺の面影はなく、江戸時代建立の山門(写真左)が現存で古いものである。
山門の左右に仁王像が配置されているが15世紀室町時代の作品と言われる。 その力感や憤怒の見事さは能登を代表する木造金剛力士像であろう。歯をむき開口する阿像ときりっと閉口する吽像から成っている。後年1995年の解体修理の時に出てきた胎内文書によると1453年京仏師の院勝・院超の制作であると言う。 現在珠洲市の文化財に指定されている。

(右)山門から続く苔むす石段と杉の大木。上りきると本堂、大師堂、経堂、奥殿などが見え、弘法大師にまつわる啼き桜の木や袈裟かけの松などもある。

また、法住寺集落のほぼ中央に法住寺古窯跡1〜4号がある。周囲に散在する中世墓から珠洲焼が度々出土し、これを狙った盗掘も発生しているとか。 


西方寺古窯群跡(さいほうじ)

鵜飼川周域には、西方寺窯跡、郷釜跡、鳥屋尾(とやお)釜跡などが散在し、ここで生産された珠洲焼は船を利用して鵜飼川から積み出したと記録が残っている。12世紀〜14世紀に広大な若山荘(荘園)の直轄で隆盛したと考えられる。

(上)西方寺1号古窯跡は岩盤をくりぬいた地下式であり、推定全長13mの内11mが現存し、燃焼室の天井も現存する全国でも貴重な古窯跡とある。

(中)西方寺2〜4号釜跡は近くの丘陵上に築かれた地上式であり、現在標識のみが立っている。

 (下)郷カマノマエ古窯跡
県道26号線郷地内で民家の直ぐ傍に無造作に存在する。少し小高い中景は珠洲焼の破片が剥き出しに積み重なっている。
 


珠洲焼について  

珠洲焼は12世紀から15世紀にかけて珠洲地方を中心に生産された壺、鉢、甕などの焼き物です。最盛期には越前から北海道南部に至る日本海側にほぼ独占的に船で販路を有していたようで、全部で40基ほどある古窯跡には陶器の破片も無数に見つかっています。
 珠洲焼は古代の素焼きの技術を踏襲する須恵器系陶器の一種です。写真のように黒灰色の光沢が魅力を集めています。

<以上資料は主に珠洲市史を参照>