豊臣秀吉年表

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大阪城 豊臣秀吉年表 伏見城 淀城

★天文6年(1537)
尾張(愛知郡中村)に生まれる。

★天文23年(1554)
織田信長に仕える。

★永禄4年(1561)
浅野又右衛門長勝養女(実父杉原定利)ねねと結婚する。

★永禄9年(1566)
木下藤吉郎は墨俣一夜砦(岐阜県大垣市墨俣町)を築く。

★永禄10年(1567)
織田信長は稲葉山城に入城して岐阜城と改称する。

★天正元年(1573)
木下藤吉郎は小谷城に入城する。北近江(12万石)を領す。
この頃に木下藤吉郎から羽柴秀吉に改名する?

★天正2年(1574)
羽柴秀吉は長浜城を築城して小谷城は廃城になる。

★天正4年(1576)
織田信長は安土城を築城して入城する。

★天正8年(1580)
羽柴秀吉は長浜城から姫路城に入城する。

☆天正10年(1582)6月2日
本能寺の変で織田信長(安土城)は割腹自害49才

★天正10年(1582)6月2日
羽柴秀吉は中国地方の覇者毛利輝元(安芸 吉田郡山城→安芸 広島城)と和睦する。
清水宗治(備中高松城主)は切腹する。

☆天正10年(1582)6月13日
山崎の合戦で明智光秀(坂本城)は死亡55才

☆天正11年(1583)6月
賤ヶ谷の戦いで、柴田勝家(北の庄城)は自害する。61才

★天正11年(1583)6月2日

★天正11年(1583)
羽柴秀吉(姫路城)は大阪城を築城して入城する。

★天正11年(1583)
利家は北加賀領主・能登1国領主になり、七尾城から金沢城に入城する。

★天正13年(1585)
羽柴秀長(羽柴秀吉の弟)が大和郡山城に入城する。
(大和・紀伊・和泉 100万石)
羽柴秀長は権大納言(従二位)になる。

★天正13年(1585)
羽柴秀吉は左大臣(従二位)関白(大名の家格)になる。

★天正13年(1585)
羽柴秀吉は四国地方の覇者長宗我部元親(浦戸城)征伐で四国を平定する。

★天正14年(1586)
徳川家康上洛 大坂城で秀吉に謁見

★天正15年(1587)
羽柴秀吉は太政大臣(従一位)太閤(大名の家格)になり、豊臣秀吉となる。51才

★天正15年(1587)
豊臣秀吉は九州地方の覇者島津義弘(鹿児島城)征伐で九州を平定する。

☆天正16年(1588)
佐々成政は一揆の責任を問われ所領没収(肥後熊本) 摂津尼崎で切腹

★天正18年(1590)
豊臣秀吉は関東地方の覇者北条氏政・氏直(小田原城)征伐で関東を平定する。
豊臣秀吉は日本全土の平定を成し遂げる。

★天正19年(1591年)
豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が左大臣(従二位)関白(大名の家格)を継ぐ。
(尾張国と北伊勢5郡 100万石・尾張 清洲城)

★文禄元年(1592)3月12日
豊臣秀吉朝鮮出兵

★文禄3年(1594)
豊臣秀吉は大阪城から伏見城に入城する。

★慶長元年(1596)9月2日
豊臣秀吉2度目の朝鮮出兵

☆慶長3年(1598)8月
豊臣秀吉 伏見城で死去62才

☆慶長4年(1599)3月
前田利家(金沢城)は大阪城で死去63(62)才

★慶長5年(1600)9月
関ヶ原の合戦で東軍の徳川家康が勝利する。

慶長8年(1603)
徳川家康は右大臣(従二位)征夷大将軍(大名の家格)になる。江戸幕府を開く。
江戸幕府は幕藩体制を敷き、領国を藩と呼ぶようになる。

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