このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。


旭荘への『申し聞かせ書』  広瀬淡窓

広瀬淡窓は江戸後期豊後(大分)日田の私塾「感宜園」で子弟の教育にあたった。その教育方針は、怠惰を排して実力主義を貫き、各々の個性を活かし、師のすぐれた人格で子弟を教化するというもので、淡窓の名とともに広く全国に知れ渡った。弟旭荘に宛てた『申し聞かせ書』でその真髄を述べている。

「門下の諸生は、少年英気のもので、荒々しく生意気なものが多く、なかなか制し難い。これを教育するには、およそ悪事の起こる根源を窮めて、そこに厳禁を設けてこれを制するようにしたほうが良い。禁を厳しくするからには、禁外のことは一切これを許すが良い。これすなわち一張一弛の道理である。
塾即禁令について一張一弛の道理を適用していくと、一時凌ぎで骨惜しみをし、かたくなとなり、利を好み、免れて恥じることなく、礼儀もなおざりとなる。そこでかかる弊風を改めるために、礼儀を詳らかにし、教化を先にして賞罰を後にし、口をもって教えずして身をもって教え、月日を経て自然と人の化するように致すべきである
もともと諸生の境遇や性質は同様ではない。才子あり、鈍才あり、貧乏あり、金持ちあり、年長あり、幼少あり、努力者あり、怠惰者あり。よってその望むところのものも同じでは無い。諸生の個別な性質や立場を踏まえて、それに適当した教育を施そうと考えるなら、ただ理の当然のみをもって一概な取扱をすれば、必ず失敗するであろう。」

慈悲仁恕を専一とし、「刻薄無情な行いはするな」と弟や子弟を諭す先生の姿が目に浮かぶ。