このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。



 『野芹』  細井平州 2


「風俗を引立候源は文武二道を励み給ふことにて御座候。文武行われ候えば孝悌忠信、仁義礼譲の風儀多く、武道行はれ候えば質素敦朴、篤実廉恥の風儀多く相成事に候。風儀正敷は富足の元、風儀怠弱なるは貧窮の元に御座候。〜
道理に明らかなる人は、身分不相応の驕を致し非義の立身出世をも願い申さず候。技芸を嗜み候人は、飲食衣服の物好き薄く、未練さもしき追従は自然と仕らず候。これ何の故と申すことも無く、元来好み候所文と武と二道より出ることにて、人の風儀この二つに御座候。
たとへ聖人の本経に叶ひ申さず候ても、人情をはずれ候程の過は少なく候。唯つまる所人情を敗り君父をわすれ候事は、元来奢靡(しゃび=利に聡くはで好みの風)の心より生じ候義に御座候。〜」


 平州は尾張藩の藩校「明倫堂」の初代総裁でもある。彼の講義を聴講するために、常に3千〜5千人の町民が集まったという。
 さて、この「野芹」は平州が尾張藩の指導者階級にその規範として残した書であるが、「世の堕落ははで好みやぜいたくから始まる。こういうことを野放しにしておくと、親を親とも思わぬ不遜な子供が生ずるようになる。」と、私たち日本人の大先輩は、現代社会の病根をすでに江戸時代の世にハッキリと警告しているのである。にもかかわらず、親は子にうまいものを腹いっぱい食べさせ、きれいな衣服を着せ、テレビ・ビデオ・ゲームなどの娯楽品を与え、どんどん子供を不遜にしている。
 平州は、これを直すには文武両道の教育を施すしかない、すなわち孝悌忠信・仁義礼譲・質素敦朴・篤実廉恥の風を吹かすしかない、と言う。江戸時代の封建国家では中央集権が完全だったために、君主が襟を正すことによってその考えや政策をすぐに下へ伝えることができたが、現代民主主義社会ではそう簡単に事は運ばないことも事実である。しかし未来の子供たちのためにも、少しずつでもいいから前進せずにはいられない。そしてそれは『家庭での教育』であり、親が襟を正し、自ら範を示すことから始めるしかない。この場合、特に父親の果たす役割が大きい。愛と敬を主とし、昔のいわゆる「バンカラ」ではないが、義侠心に厚く正々堂々とした『風』を、家庭にもう一度吹かせて欲しい。