このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。


『心の儘』 金子得所 1


さればくずるる家居を造り直すにたとえん。
造り直すにはまずその家ことごとくとりくずし、地盤をかたむるにあり。地盤堅固ならば、少し悪しき材木もみな用うるに足れり。ただ姿こそよけれ、髄に虫喰み、朽ちのいりたるは、新しきにかえ、これはかしこの柱に用い、かれはここの垂木に用いんと選み出し、さて柱に為すべき木を棟木に用い、縁板なるべきを、床板に為したらんには、労して其の功なかるべし。たとえ姿こそねじれてあれ、素姓さえ良き木にあれば、床のおとしがけなどに用いんには、またひとしおの眺めも在るべし。されば板かまち、敷居、鴨居と、等しからざる木のくさぐさをかき集め、くまなく見配る心のかね合い、いともむつかしくぞ侍る。
人材は材木なり。金穀は屋根壁に等しく、仁道は地盤なり。仁道にあらざれば基本を立つること能わず。


者は幕末、山形は3万石の小藩・上の山藩士だった金子得処である。彼は長岡の河井継之助と併称された人材で、その見識・教養・才幹をもって大藩に出たならば、英名を天下にはせたに相違ないといわれている。この文章は彼が三十三歳、安政二年の作である。
「 古くなった家を造り直すには、古い部分をすっかり取り払って、その上に地盤つまり基礎づくりをしなければならない。地盤がしっかりしておれば、少しぐらいの材木の善し悪しは問題ではない。逆に見かけが良くても、髄に虫喰いがあり腐っているものは、新しい材木と取り替えるべきで、こんな木を苦労してここの柱にしようとか、たる木にしようとか、あるいは縁板を床板にしても、髄に虫喰いがあれば材木としての価値はない。それより、たとえ姿が悪くても、素姓さえ良ければ床の間の横木に使うのも面白い。
人材とはこの材木に等しく、金穀は屋根や壁に等しく、仁道は地盤である。そして、仁というのは人の生命・人物を育てあげる働きを言い、すべてはこの地盤の確立のもとに成り立っている。」
人材はどこにでもいるのだが、それを公平な目で発見し、育成することがなかなか難しい。ともすれば自分に気に入る者ばかりを集めたくなるのが人情だが、そうすると本当の人材が目に入らない。
金子得処は、まず用いることだと言う。素姓さえ良ければ、大きな失敗はないどころか、使いようによっては思いがけない人材の発掘にもつながるものであると言う。任用=用いて任す。肝に銘じたいものである。