心に残る文章

              

             
                  「人間の矮小化:政治家とマスメディアが、
                       英雄なきエゴイストひしめく国家をつくる」

                      はじめに 
                     1999年末、自衛隊練習機が墜落した現場に近い高校の校長先生が、学校通
                    信に事故のことを書いておられます。国際戦略研究で有名な岡崎研究所のH
          Pで小川彰氏がこの文章を紹介しています。
                      小川義男校長先生のことは直接は存じ上げませんが、文章を拝見する限り
          立派な教育者であられるようです。 
                     ここに紹介する文章は、狭山ケ丘高等学校の小川義男校長が、12月1日付
                    の学校通信「藤棚」に寄稿したものです。この一文「人間を矮小化してはなら
          ぬ」を、多くの方に知っていただこうと思い、HPに掲載させていただきまし
          た。ご本人の了解は得ておりませんがご容赦いただきたいと思います。
                                                         
 
              1999年12月1日付学校通信「藤棚」 
               「人間を矮小化してはならぬ」
                                 小川義男 
                                (狭山ケ丘高等学校校長)
 
              先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の練習用ジェット機が墜落しました。たま
          たま私は、寺田先生(注:教頭)と共に、あの近くを走っていましたので立ち寄る
          ことにしま した。すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできません
          でしたが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。 
           見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって
          切断されています。高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぶつ
          んと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼ
          さに切れています。何か所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔から
          ぶら下っ ている様は、まさに鬼気迫るものがありました。 
           聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。二佐と三佐と言いますか
          ら、相当地位の高いパイロットだと言えます。二人とも脱出を試みたのですが、高
          度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。 
           以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶと
          いうのを聞いて、私がとめたことがあります。「あんな危ないものに乗るな」と。彼
          の答えはこうでした。「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装
          置が付いており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。 その安全な戦闘機に
          乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならな かったのでしょうか。
          それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。おそらく、もう
          百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に 自らの命を救うことが
          できたでしょう。47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親
          であったでしょう。それなのに、何故彼らはあえて死を選んだのでしょうか。 
           実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している
          場所なのです。柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、
          中学校、西武高等学校も直ぐそばです。百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助
          かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。
           彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に
          接近しました。そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可
          能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。 
           死の瞬間、かれらの脳裏をよぎった者は、家族の顔でしょうか。それとも民家や学校
          を巻き添えにせずに済んだという安堵感でしょうか。 他人の命と自分の命の二者選択を
          迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神の何と崇高なことでしょう。皆さんは
          どうですか。このような英雄的な死を選ぶことができますか。私はおそらく皆さんも同じ
          コースを選ぶと思います。私も必ずそうするでしょう。実は人間は、神の手によって、そ
          のように作られているのです。 
           人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化(わいしょうか)、つまり
          実存以上に小さく、卑しいものに貶(おとし)めようとする文化が今日専らです。しかし、
          そうではありません。人間は本来、気高く偉大なものなのです。火災の 際の消防士の動き
          を見てご覧なさい。逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の
          中に飛び込んでいくではありませんか。母は我が子のために、 父は家族のために命を投げ
          出して戦います。これが人間の本当の姿なのです。その愛の対称を家族から友人へ、友人
          から国家へと拡大していった人をわれわれは英雄と呼ぶのです。 
           あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、 佐藤
          校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。 
          しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句のほめ言葉も発しておりま
          せん。彼らは、ただもう自衛隊が「また事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。防
          衛庁長官の言動も我慢がなりません。彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。
          その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。 
           防衛庁の責任者が陳謝することは、それは当然です。国民に対してばかりか、大切な隊員
          の命をも失ったのですから。しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言「以上の通り申し訳
          ないが、隊員が国民の生命財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂
          きたい。自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り、彼らは可愛い部下な
          ので、このことを付け加えさせてもらいたい。」くらいのことが言えなかったのでしょうか。 
           隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家
          の精神的貧しさが、ここには集中的に表れています。まことに残念なことであると思います。 
           このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴ
          イストのひしめく国家を作り出しているのです。 人は、他人のために尽くすときに最大の生
          き甲斐を感ずる生き物です。他人のために 生きることは、各人にとり、自己実現にほかなら
          ないのです。国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。そのような
          人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。 
           受験勉強で、精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためにではなく、公(おお
          やけ〕のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるの ではないでしょ
          うか。 
           受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を! 

          補 足 
           教頭先生によると、小川義男先生には『学校崩壊なんかさせるか!』(致知出版社 
           3409-5632:1500円:平成11年11月初版)があるとのこと。経歴は次の通りです。
           昭和7年北海道生まれ。
             26年道立滝川西高等学校卒業後、代用教員。
                         30年北海道教育大 学札幌分校入学。
                         34年卒業。北海道、東京で小学校教員、教頭、校長を歴任。その後、アジア大学修士、
                                   早稲田大学修士。
                      平成4年学校法人狭山ヶ丘高等学校常務理事に就任。
                          8年校長に就任。