心に残る文章


          【日本が復活するとき 兼松の挑戦】



          この文章は、ある証券アナリストが、平成13年3月にインターネット上で公開した
      「兼松」を推薦する記事である。推薦当時187円だった株価が、5月18日には491
       円まで跳ね上がった。
        この証券アナリストは、単にキャピタルゲイン目的で兼松を勧めるだけでなく、リス
       トラを断行し、力強く生まれ変わろうとする「兼松」に「日本」をダブらせることによ
       って、日本人の尊厳を日本人の心の中に甦らそうとしているのである。
               死に物狂い、勇気、誇り、私が忘れかけていた大事なものを、この文章が思い出させ
       てくれた。日本の証券アナリストも捨てたものではない、と思う。


                 一人の男が日本の代表する企業を変えた。日産のゴーンだ。痛みを伴った改革を成し
              遂げた。そして、利益は急回復した。結果的に従業員のやる気も引き出した。それを見
              てくやしく思っている男がいた。「なぜ、日本人が日本の会社を再生できないのか?情
              けないことだ」と倉知は言った。
               東京三菱から派遣された倉知、和田のコンビは、ビジネスマンとしてのプライドをか
              けて2年前兼松に乗り込んだ。「大手商社なら勝つか負けるが問題だろう、しかし、兼
              松は生きるか死ぬかだ。再建失敗=死。今、わずかに残された自己資本は50数億円だ。
              処方箋は外科手術。悪いところはすべて切り取らなければならない。兼松出身では、鬼
              になれないだろう。外部から乗り込む私にしか外科手術はできないはずだ」(倉知)。
 
               一緒に来てくれる者を呼びかけた。和田が手を上げた。厳しさでは社長以上といわれて
              いる。一切の例外を認めない厳しさ。
               社員にはわだかまりもあった。しかし、「社員にとって、たとえどんなに厳しくても、
              倒産して路頭に迷うよりは、兼松が復活して世の中から自分の仕事の付加価値を認められ
              るほうが幸せのはず」(倉知)。
               売上競争、横並び意識。商社が互いに取扱高額を競った果てに残されたものは、無数の
              低採算事業と膨大な借金だった。そして、横並びを意識して、決算対策を繰り返していた。
              粉飾である。結果として財務内容が、ますます脆弱になっていく。あり地獄だ。
               たとえば、ディリバティブ取引で利益の出ている取引だけを利益計上した。不良債権は
              隠そうとした。社員の士気は低下した。「この会社はやばい」。優秀な人材は流出し始め
              た。
               99年5月減資を実施。自己資本は410億円から70億円となった。格付け機関は、
              格付けを投資不適格とした。(ムーディーズB1へ格下げ)
               希望退職を募った。99年9月、総数525名が退職していった。単体2000名だっ
              た社員は一年で700人になった(単体)。想像を絶するリストラだったろう。後がなく
              なった。膿は徹底的に出すしかない、そう思った。
               一方で、しっかりとビジョンを語りかけた。売上重視から利益重視への転換、効率化、
              成長性、採算性の観点からの取り組み、しっかりと事業の収益性を監視する委員会の設置、
              借金や経費をさらに見直すために、コストコントロールの徹底が図られた。
               全社一丸となって、2002年3月期の連結経常利益150億円を目指すと誓った。有
              利子負債は3年で3700億円返済するつもりだった。関連会社は240から70まで減
              らす計画を策定していた。倉知は、決められた予算を守れない事業はすべて清算した。
               「やめるときは、禍根を残してはだめだ。不動産はやめるが、マンションだけは続けると
              いうやりかたでは、必ず将来おかしくなる。やめるべきものはきっぱりとやめなければな
              らない。中途半端に継続した事業で将来わずか1000万円でも赤字が出ることは許され
              ない。兼松には、赤字を許容できる体力は残っていない」(倉知)
                金融機関は1500億円の債務を放棄した。「外科手術をしたんだ。債権放棄という輸
              血が必要だった」(倉知)。金融機関は、兼松をつぶして借金が戻らなくなる事態を心配
              していた。たとえ、1500億円を放棄しても、残りの債権が戻ってきてくれるなら、と
              いう腹積もりだった。借金は99年3月期7900億円残っていた。これを債権者に返す
              ために、必要最低限の燃料だけつんで片道キップできた。「骨を埋める覚悟だった」(倉知)
                社員は半信半疑だった。誇りを失っていた。経営を明朗に開かれたものにする必要があ
              った。経営説明会で、ある社員がいった。「不良債権を処理したというが、うそではない
              か。この部には、120億円の不良債権がのこっているはずです。」その場で、財務担当
              者が答えた、「引き当ては終了しています」。社員は、会社がまだ、信じられなかった。
                自分が誇りをもってできる仕事とはなにか。社長は問いかけた。夜は社員と飲みにでか
              けた。営業にも同行した。議論が白熱した。「レゾンデートル」。社長が好んで問いかけ
              た言葉だった。「なんのために存在するのか、君のやっているこの仕事の存在意義。存在
              意義があれば、それなりの付加価値、つまり利益が顧客から与えられるはずだ。顧客にど
              んな点を認めてもらっているのか?単なる慣習や業界序列で、つきあってもらっているだ
              けの顧客なら、いらない」(倉知)。
                社員は驚いた。倉知は普通鋼の取り引きをあっさりとやめた。毎月、高炉メーカから割
              当が来る。まさに序列の世界だった。担当者はかえって気が晴れた。高炉とのつきあいが
              なくなる。その代わり、もっとエキサイティングなことをやってみたいと思った。自らの
              レゾンデートルを求めた。13クロムや鋳鍛造品などの付加価値品に特化することになっ
              た。99年9月中間期に4億円の赤字を経常した鉄鋼プラント事業は、2000年9月中
              間期に23億円の黒字を記録した。事業部の社員の士気が戻った。
              化学事業は、汎用樹脂の物流をやめ、ライフサイエンスに特化した。医薬中間体や健康
              食品、そして機能性プラスティックなどに注力した。社員はメーカとの研究開発に張り切
              っていた。長らく物流中心の商社では、技術者や理系出身者は傍流だった。技術がわかる
              人間が大きく開花していった。99年9月、2億円の赤字だったライフサイエンス事業は、
              11億円の黒字に転換を果たした。
                結局、不退転の決意からわずか1年半で兼松の連結営業利益は99年9月中間時の22
              億円から97億円と急改善した。
               大胆なリストラでもはや部長はいなくなった。課長一人一人に重大な決済権が与えられ
              た。一円の損も許されない。経費は全社で3分の1になった。「1円でも損をだしたら、
              その部は消滅する。清算するという覚悟が社員にも芽生えてきた。」
                経営戦略説明会を社員に4回開いた。内容が同じものを4回も開くことは異例であろう。
              それだけ、経営陣は必至だった。社員は4回のうち、都合のよい回に出席すればよかった。
              社員からの質問も積極的に受け付けた。そこで倉知や和田は会社のビジョンを訴えた。
             「兼松は復活する」。社員と経営者との間にコンセンサスが形成されていった。
                 2年がたった。2001年3月期の経常利益は前記比4倍となる見込みだ。借入金は
              99年3月期の7910億が2000年9月には4820億円となった。有利子負債はネッ
              トベースでゼロにすると社員に号令をかけている。
                社員はメーカとの研究開発を推進した。兼松に残った理学部工学部出身者たちが、「これ
              をやらせてくれ」と社長に直談判にくるようになった。連結子会社、関連会社は240あっ
              たが、倉知はこれを174にまで減らした。今後、120まで減らす予定だ。親会社ででき
              たことをこんどは子会社でやるつもりだ。
               2001年の年明け、関連会社の社長から経費削減のプランを徴収した。まだ削れる経費
              が50億円以上もあった。この50億円は債権者や株主のために返すといった。
                投資家たちは応援した。すでに208人の裕福な個人から、激励と資金援助の申し出があ
              った。スパークスの出資もその流れの一貫だった。「まだまだ。今度は外国の機関投資家に
              も認められるようにがんばりたい」(倉知)
              顧客も兼松を応援した。森永のアロエヨーグルト、400億円の取扱。100%のシェア
              だ。森永の社長がいった。アロエの次を一緒に探しましょう。森永・兼松共同チームは、い
              ま、東欧を回る毎日である。
               社員もがんばった。工学部出身者たちは、光関連部材など高成長分野に注力した。シンガ
              ポールから25億円フェルールの受注に成功した。しかし、部品メーカの生産が追いつかず、
              途方にくれていた。社長がメーカを訪れ頭を下げた。先方の社長がいった。「兼松に分けて
              やれ」。
               兼松の社員のマインドが変わった。特許をとろうという気運がちらほら出てきた。
             ここに面白い数字がある。過去5年間の特許出願数だ。本体での出願の比較だが、三菱商事
              219件、三井物産137件、住友商事62件となっている。兼松は555件だ。売上規模
              で10分の1にすぎない兼松の知的財産は、大手商社を数倍規模で上回っている。毎年、社
              員6人に1人が特許明細書を書いていることになる。「まだ、特許戦略はないに等しい。今
              後の課題である。今は、なんだか面白そうだから、書いてみようという段階」(和田)
               この結果を見て、わたしは確信をもった。完全に兼松社員のマインドは変わったといって
              よい。社長からのレゾンデートルの問いかけに社員が出した答えのひとつはこの特許だった
              のではないか。会社から特許を奨励したことはない。自発的な社員の行動だった。
               わたしが疑問に思っているのは、優秀なはずの商社マンや銀行マンがなぜ特許というもの
              に対してこれほど疎いのだろうかということである。住友銀行の特許は過去5年で21件で
              あった(いずれも、特許庁HPでの検索結果より)。担保をとった金貸しや物流の鞘抜きで
              生きていける時代は終わっている。
               兼松の特許は、地に足のつかないビジネス特許ではない。すべての特許の土台は顧客と二
              人三脚だ。エプソンとのハンドラー事業、ファイザーとの中間体事業、なんとシリコンバレ
              ーには常時20人が最新の技術動向を見極めている。兼松は単なる御用聞きから脱却した。
               わたしの指摘に対して和田が付け加えた。
             「商社は、物流中心の事業展開だった。ソニーや松下が町工場だったときは、仕事が十分あっ
              た。昔は、ソニーは生産に夢中で、それ以外のことをする余裕も暇もなく、人材もいなかっ
              た。いま、ソニーは商社を必要としていない。それなのに商社は売上競争を繰り広げた。物
              流で食っていけないと感じたとき、投資やバンキングに多角化していった。そのどれも上手
              くいっているとはいえない。兼松は投資やバンキングはもうやめたんだ。そうじゃない。世
              の中から認めてもらうためには、メーカと一緒に考え行動しなければならない。5年、10
              年かかってもいい。共同でなにか意義のあることを創造していくんだ。それ以外に商社の生
              きる道はない。ベンチャー投資ではなく、ベンチャーの気概をもって、互いに知恵を出し合
              っていかなければならない。投資とは本来そういうことなんじゃないか?」
                和田は続けた。
             「いわば、兼松はようやく恐竜から人間に変わったんだ。物産も商事もこわくない。かれらは
              恐竜だ。人間は弱く、裸だが、共同でちからをあわせればマンモスだった倒すことができる。
              兼松は幸いにも「火」を発見した。いつか、わたしは銀行に戻るかもしれない。日本の銀行だ
              って、今は恐竜になってしまった。銀行にもどって、ここでやったことをやらなければならな
              い」(和田)。
                ミーティングを終える前、社長に一言苦言を呈した。第3者割当の件だ。
             「どの投資家も平等に扱ってほしい。市場とはそういうものなんですよ。わたしは御社に出資し
              てもいいと思う。しかし、わたしはあえて市場で買うことを選択します。それは、投資家はわ
              たしだけでなく、わたしだけが抜け駆けするわけにはいかないからです。誰かが抜け駆けでき
              る市場は未熟な市場です。これからは、投資家のひとりひとりに思いをはせて下さい」
              倉知社長は「本来そうあるべきなんでしょうね。」と納得してくれた。
               わずか1時間半のミーティングだった。しかし、わたしは爽快な気分であった。サラリーマ
              ン社長にはできないはずのことが、倉知社長には出来たという事実。
               「再建のインセンティブは、私のプライドです」(倉知、和田)。
              社員は完全な業績連動給になっている。ストックオプションは倉知にも和田にもないのだ。
             「自分の利益なんか考えて、やっていられない。まず、債権者、まず、既存の株主に報いなけれ
              ばならない。それが終わったら、社員に報いなければならない。次の社長は兼松から出さなけ
              ればならない。それがすべて滞りなく完了する責務。それがわたしのインセンティブなんです」
             (倉知)
                「絶対、やり遂げてやる。このままじゃ、終われない。優秀な人間を確保するためには、再建
              計画を1年前倒しする必要がある。若いエンジニアも、うちにくれば、挑戦的な仕事ができる。
              有能な人材の採用を早く開始したい。事業部からは人手が足りないと言われるようになった」
             (和田)
                兼松の挑戦は始まったばかりだ。多くの不採算事業を保有し、あえいでいる大企業は兼松を見
              習ってほしい。雇用を守って全滅するのか、生き残るのか。その選択は経営者がすべき課題であ
              る。そして、投資家は、復活まであと一歩まできた兼松を是非応援してほしい。
                投資とは、客観的に技術評価をし、収益性を見極め、将来性を見通した上で、なされるもので
              ある。しかし、それ以上に、事業をやっている人間の実行力が問われるものである。客観的に優
              れた技術が、なぜか泥臭い古い技術に敗れ去ることもある。それは人間がそういうものだからで
              ある。
                人間はのめり込んでしまう。誰かを好きになってしまう。投資も例外ではない。だが、ひとつ
              だけいえることがある。みんなから応援される人間は成功する確率が高いということ。そして、
              応援したい気持ちにさせるのは、絶え間ない努力、強いリーダシップ、壮大なビション、ひきつ
              けられるような人柄などであろう。人間はひとりではなにもできない。倉知は、商社のレゾンデ
              ートルを示したという功績によって、これからも投資家の絶大なる支持を得るだろう。
                世の中、やる気のない経営者が多すぎる。投資家はそんな大量の無能経営者たちに、いい加減、
              頭に来ているのだ。不採算の事業をやめればEPSが倍以上になる銘柄は数多い。なぜ、やめな
              いのか?これほど頭にくることはなかろう。それをやってくれた倉知・和田コンビに拍手喝采と
              なるのはやむをえない。
                兼松は、日本企業が復活するためにはどうしたらよいかの答である。首位でも2位でも3位で
              もない、万年下位の冴えない会社が、どうして、今、市場で一番光っているのか?
               財務内容が悪くても、社員のやる気がなくても、シェアが低くても、技術がなくても、なにも
              なくても、一番になれる。オーナー経営者でなくても、リストラは断行できる。ストックオプシ
              ョンがなくても、人間は誇りだけて行動できる。人間は和田の言うととおり、だれもが「裸で勝
              負できる」のだ。
                兼松が出来るのなら、どんな企業だって復活できるはずである。日本再生の展望を与えてくれ
              た社長に感謝している。日本は復活する。