心に残る文章


「一秒一生」ゼロからの出発 

横浜商工高等学校ハンドボール部監督 渡辺靖弘の挑戦

(株)スポーツイベント編集部特別取材班 著

グローバル教育出版 2500円


 横浜商工高等学校ハンドボール部監督 渡辺靖弘といえば、この世界では知らぬ者のいない有名人だが、彼の半生記と言っても良い本が出版された。 久々に「良い本に出会った」という思いをさせられたが、この本は世の中の指導者といわれる人々に『心の指導の大切さ』を伝えているにとどまらず、『親子のコミュニケーションの大切さ』も見事に訴えている。家庭の父母にもぜひ読んでいただきたい一冊である。その中から一部分抜粋させていただきたいと思う。

全国制覇を何度も成し遂げた渡辺靖弘監督も私たちと同じ思いを抱き、同じように苦しんできた。その事実を述べたくだりで、100ページにこうある。

「どうしてこんなことができないのか」

指導者としての渡辺が、力めば力むほど選手たちは、心に壁をつくってしまう。

それだけではない。毎朝の職員会議では、日々の問題点が報告されるのだが、わずか十人足らずの部員にもかかわらず、ハンドボール部のだれかの名前が出てくることが多かったのである。それも非行を理由に停学処分や退学処分を通告される、そんなことで名前が出るのだ。一度や二度ではなかった。このつらさを、三十年以上たったいまでも、夢に見ると渡辺はいう。

「明日の職員会議で、アイツの処分が決まる。どう言い訳したら助けられるか。その前にどうしてオレが止められなかったのか、と考えているうちに、しらじらと夜が明けてくるといったことも何回かありました」

という渡辺だが、そんな渡辺の心情さえ生徒にはなかなか通じなかった。指導者としての空回りに悩む渡辺のもとを、ひとり、二人と去っていくのである。ふと気づいたときには、残っている部員は、各学年ひとりづつしかいないということすらあった。

そんなくり返しの中、

「部員が七人も集まってくると、それじゃあというんで、ビシビシ絞ったものです。いま、改めて考えてみると、内容のない苦しい練習ばかりを強いていたんですね。私も指導者として未熟だったんです。苦しい練習さえしていれば、教える方も満足できるような気がして、強くなれると錯覚していたんですね」

と渡辺は、いま、反省の弁だ。

指導者としての壁に直面していることを自覚しながら、

「必ず、オレが信じられる選手を育て上げ、全国大会に行ってやる。いつか…。見ていろ、きっと」とつぶやきつづけた。

そして、彼独自の教育観が形成されるにつれて全国レベルの実績を得ることができるようになったのだが、その教育観について、125ページにこうある。

「いまの子どもがダメになったというが、けっしてそんなことはないんです。我々だって親の世代からは、そういわれていた。エジプトのピラミッドの中の落書きに“いまの子どもはダメだ”と書いてあるものがあるらしい。二千年前からいつもいまの子どもはダメだって思われてたんですよ」

「言葉を多くすればいいのです。昔は以心伝心というか、あえて言葉にしなくても、心と心が自然に通い合うこともできたんです。教師と生徒の関係もそうでしたし、親子関係でも同じことが言えたでしょうね。ところが、いまは違う。言葉なしで通じ合うことは難しい。心からの言葉をどんどん発するということを大人はすればいいんです。そうすると、現代っ子は、ものすごく良く理解するんですよ」「そしてなんでも優しく接すればいい、と考えている人もいるが、いまは“心ある厳しさ”が必要です。多くの子どもたちは厳しさに飢えている、そう思うんです。厳しさといっても、もちろんこころのある厳しさですよ。子どもというものは、自己中心的な考えができることが自由だ、とはき違えるものです。ダメなものはダメ、悪いことは悪いと教えなければね。勇気をもって、心に訴えれば通じるものです。ハンドボールだってそうですが、厳しく教えた子どもは基本がしっかりしている。」

渡辺の実体験からにじみ出た教育への彼の考えである。

「言葉にして、きちんと子どもと向き合う。これさえしていくなら、やり方次第で、むしろ昔よりいまのほうが楽だと思います。三十五年間行きつけの床屋のおやじさんから、『いまの時代、先生は大変ですね』とよく声をかけられます。でも本当は違うと思います。『これからの方が昔よりずっと楽です。いまは、厳しさに飢えているんだから』。私は、いつもそう思っています」

また、いかに渡辺監督が人間の本来持つ感情に忠実な人か、人情味の厚い人かということに非常に感動させられたが、79ページにはその良い例として父の墓を移転するくだりがある。

オヤジが死んだころは土葬でした。お墓を専門業者が掘り起こします。するとお骨が出てきます。ウチの場合はオヤジしか入っていないから、オヤジのものだとわかっています。オヤジの頭蓋骨をキレイに水で洗い流して、きちんと納めるべきところに納めて供養してすっきりしました。

二度も大好きなオヤジに会えたのですから。オヤジの頭蓋骨をなでて、キスまでして涙が出ました。こういう経験は二度とないんじゃないでしょうか。死んだオヤジと、また良い出会いをさせてくれたことに感謝しています。

こんなオヤジが監督ならばどこまでもついて行きたくなるのは当たり前だろう。「この人に好かれたい。この人によろこんでもらいたい。この人を怒らせたくない」これが子どもたちを伸ばす大きな原動力になることは間違いない。

『一秒一生。一秒一秒に自分の一生をかけ、真剣に生きる』渡辺靖弘監督の言葉は行動力に裏づけされて私のこころにズシンとひびいた。