このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。



 『二宮尊徳翁夜話』  福住正兄 1


「愚人と言へども悪人と言へどもよく教ふべし。教へて聞かざるもこれに心を労することなかれ。聞かぬとも捨つることなく幾度も教ふべし。教へて用ゐざるも憤ることなかれ。聞かずとて捨つるは不仁なり。用ゐぬとて憤るは不智なり。不仁不智は徳者の恐るる所なり。仁・智二つ心掛けてわが徳を全うすべし。」


二宮尊徳と言えば、本を読みながら薪を背負い歩いている銅像で有名なあの二宮金次郎のことであるが、後藤新平などはこの勤倹の象徴たる人物を、日本民族が数千年の歴史のうちに生んだ偉大なる人物として推賞している。彼がいかに偉大な人物であったかについては、二宮尊徳翁夜話を読んで感じ取っていただきたい。
この182段は二宮翁の教育観がにじみ出ている。「どんな不良でも教育者たる者は教えることを放棄することは許されない。言うことを聞こうが聞くまいが、教え続けることことこそ真の教育者である」と。さらに「言うことを聞かぬからとてすぐに怒る輩なんぞは教育者どころかバカ以外の何物でもない」と喝破する。
苗木が立派な木になるには根幹をしっかりしなくてはならない。根っこは家庭での徳育、つまりきちんと挨拶をするとか、早起きをするとか、掃除をするとか、お父さんお母さんご先祖を大切にするとか、こういったことをまず親、特に父親が率先して範を示すことで決まる。子にとって父親は敬にの対象だからである。こういったことが5〜7才位にできておれば、中学生から高校生における、いわゆる『家庭内・校内暴力』という存在も激減するはずである。そして学校ではまっすぐ伸びるように幹の部分をしっかり支え、方向性を示してやる。そうすれば子供は自分で枝を張り葉を茂らせ結実する。時には根幹の負担にならぬように剪定することも必要ではあるが、それは子供が自分で学んで解決するはずである。親の家庭での教育、教師の学校での教育が二宮翁の言う『仁・智』の心で為されることが今本当に求められているのではなかろうか