このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。



 『二宮尊徳翁夜話』  福住正兄 2



「聟嫁たる者養家に居るは、夏火宅に居るが如く、また実家に来る時は夏氷室に入るが如く、冬火宅に寄るが如き思ひなるものなり。この時その身に天命あることを弁へ、天命の安んずべき理を悟り、養家は我が家なりと決定して、心を動かさざること不動尊の像の如く、猛火背を焼くと雖も動かじと決定し、養家のために心力を尽くす時は、実家へ来たらんと欲するともその暇あらざるべし。かくの如く励む時は心力勤労も苦にはならぬものなり。これ只我を去ると一心の覚悟決定の徹底にあり」


 二宮翁のすばらしいところは、儒学や仏教などの経典の神髄を無学な一般大衆に対して至極簡単平易に、日常の自然・生活を比喩にとって教え諭すという点にある。この文についても「不動心」というテーマを嫁姑問題に絡めて、若聟嫁を諭す材料にしている。特に「猛火背を焼くと雖も動かじと決定し」などという言葉は、スポーツをはじめ人生のあらゆる場面に通用する。一方、彼は姑に対してもこう言って諭している。「嫁の愚痴を言うな。それは汝が若き頃姑を大事にしなかったことの裏返しではないのか」と、ねんごろではないか。
 また、若者の慢心を制す言葉としてつぎのようなことも言っている。「世の中の人を見よ。一銭の柿を買ふにも二銭の梨を買ふにも、真頭の真直なる瑕(キズ)のなきを撰りて取るにあらずや。また茶碗を一つ買ふにも、色のよき形のよきを撰り、なでて見、鳴らして音を聞き、撰に撰りて取るなり。世の中みな然り。みずからかえり見よ、必ずおのが身に瑕ある故なるべし。されば内に誠あって外にあらはれぬ道理あるべからず。この道理をよく心得、身に瑕のなきように心がくべし」二宮翁の学の深さと仁徳の厚さに頭が下がるばかりである。