このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。


『兵法に多言の要なし』 宋名臣言行録 王徳用

 「いかんぞ紛々たる。兵法はかくのごとくならざるなり。士をして畏愛するを知り、しかして怯者は勇に、勇者は驕らざらしめ、わが勝つべきをもって、敵によりてこれを勝つのみ。あに多言せんや」

 宋名臣言行録の作者は朱子で、中国の北宋時代(西暦960〜1127年)160年の間に輩出した名臣97人の言行を収めている。明治天皇が愛読書として親しんだことはよく知られているが、徳川家康も語録の随所にその影響が見受けられる。
 反旗をひるがえした西夏の李元昊に宋軍はおされっぱなしで、朝廷では士大夫たちが争うようにその対策を奏上した。しかし方針が目まぐるしく変更されるばかりで、逆に戦況は悪化していった。そのありさまを王徳用が笑いながら批判したのがこの文である。
 
「なにをすったもんだやっておるのだ。兵法というものはそんなに面倒なものではない。将が部下に畏愛の念を抱かれること、そして気の弱いものには勇気を奮い起こさせ、勇敢な者には驕慢にならないように手綱をひきしめてやる。あとはただ敵と戦うだけのこと、多言の必要などまったくないのだ」
 
 ここでは@指導者が選手から畏敬され愛されることと、A選手を性格どおりにただしく伸ばしてやることと、B人事を尽くして天命をまつことを説いている。特に@の畏敬されることと愛されることはまったく逆のようだが、実はそうではない。この一節を見ると私は宮沢賢治を思い出すのである。みんなにでくのぼうと呼ばれ、いつもにこにこ笑っている人になりたいと彼は言っているが、彼の徹底した忘己利他精神・人間愛・教育に対する情熱は、生徒に対して怒らずして畏怖ならしめた。言いかえれば、生徒は彼の情熱に恐れをなしたのである。
なかなかできることではないが、指導の原点がここにあると思うのである。