特別寄稿
 


   体で覚えるということ
      〜古くて新しい教育〜

                元氷見高校ハンドボール部監督 金原 至


 
             

今日は、古い教育、と言いましても私たちの世代や大正の時代の者たちが受けてきた教育を見直してみたいと思います。

その一つは、体で覚える教育、二つ目はマイナス思考を活かす教育、三つ目は勘を磨き大切にする教育です。こんな仰々しい題目を掲げましたが、いつもの通り、ハンドボールのゲーム、練習から得たもの、日頃心がけている体験談ですから気楽に話させていただきます。

教科書的教育、マニュアル教育は、大変理路整然としてまちがいのないことが示されていますが、これはやはり与えられた教材を取り入れる、つまり受け身の教育だと思います。

今、私の思う、体で覚える教育というのは、日々戦いであるという自覚をもって、与えられた材料を自分なりに料理し、工夫し作り上げていくプロセスを大切にした教育です。

話を具体的なハンドボールにもっていきます。まず指導者(監督・コーチ)は、チームカラーなり、ゲームに対する理想像(ビジョン)イメージを持つ、その達成に必要な材料をよりすぐって選手に与える。材料とは、走る・跳ぶ・つかむ・投げるを基本材料とするのなら、それに変化をつける。緩急自在なスピード、相手をとらえるタイミングなど調味料とも言えるものを準備するわけです。

一方、選手は、これら(材料、調味料)を使って自分なりのご馳走を作るわけです。料理人、板長は選手であり、主人公は選手なわけです。自分の名誉にかけて、選手は料理しますが、これには、制限時間があります。客が退屈するほど待たせておいて、すばらしい料理を作っても効果は半減するでしょう。

ゲーム、練習も同じです。追い込みをかけて選手に緊張感、ある時は危機感を持たせるまでのプレッシャーをかけなければなりません。これを、私は簡単な言葉で言えば、「必死の思いで取り組ませる」ということなのです。

この体力と精神力を続けることができるだろうか。いや、続けることが新しい自分を作り出すために大切なんだという緊張感から生まれ、心が体を動かすのか体が心を動かすのか渾然として一体になったときにこそ、その選手の不動の技になってくると思います。

体で覚える、覚えこませる教育は、とかくスパルタ教育と結びつきますが、今いうところの教育は、選手が主人公となって生まれた汗と涙の結晶と受け取ってほしいのです。

次にマイナス面を大切にする教育です。選手を追いこんでいくというか、より高いレベルを要求し努力させると、そこに自ずと生まれるのが選手の苦しさであり、悲しさであり、腹立たしさであり、絶望感にさいなまれたり、自暴自棄になったりする。いうならば、逃避しようとする心です。これらを私はマイナス面の思考、感情と考えたいわけです。

今の教育では、このマイナス面の扱い方がまずいと思います。一寸だけの段階ですぐに救ってしまう。つまり、「これからはがんばりましょうね」とか、「こうすれば上手になるからやってみなさい」とかいって慰め励まして救い上げるのです。

今、私はこのマイナス面を徹底させることを強調したいのです。とことん悲しませる、とことん苦しませる、とことん当り散らせる、そこまで自信を持って突き落とせる指導者の決断が指導者の力量だと思います。

谷底が深ければ深いだけ救い上げるのは困難です。突き落とす指導者は、救ってやるだけの力量、心、技、体を備え持っていなければならないからです。

選手が必死なら、指導者も必死でなければなりません。そこに裸の付き合いのすばらしさがあるのではないでしょうか。指導者の体力の衰えを救うのは何か、技の稚拙を助けるのは何か、それは、まさに“心でしかない”と思います。全てを見抜く鋭い眼力、その奥に感じる愛情、情熱のまなざし。マイナス面を全廃してはならないし、中途半端なマイナス面は、飾りや偽物になってしまいます。

最後に勝負に必要な”について考えてみたいと思います。将棋士で七冠王を達成した羽生善治さんはバンに向かうとコンピューターも及ばない手が思い出ると言っていました。すごい“”が働くと言われています。また、この間の初場所における大相撲の際にも力士の“”が話題になったかと思います。先般のサッカーにおけるアジア予選においても相手の鋭いディフェンスの間隙を縫ってシュートを決める。あれは、技ではなく“”だと思うのです。

勝負の世界では、どんなに高い技術をマスターしてもゲームで扱えないことがあります。それは“勘”が冴えなかったのだと言っても過言ではないと思います。

力士が自分の相撲が取れたというのは、ここが勝負という“勘”が働き、技が生きたのではないかと思います。

”は、人に授受できない、自分が創り出した神業的なファクターです。知識と経験と努力、そして真剣勝負の練習の中でつかみとった最高の技だと思いますので、より磨きをかけ注目していきたい。

そして、“”はもう一つ“いきおいと手を組んでいなかったら冴えないと思います。

「戦いの無い練習は無い」という、必死の取り組みの中から生み出され全てを使い果たすこと、「今の試合は、1点を争うゲームだ」という緊張感、意地がプレイをシャープにさせる、これが“いきおい”だと思っております。

小柄な若ノ花の勝負勘は素晴らしい。勝ち負けを決める最後の手は“いきおい”だと思います。苦しみの中から得た自信、苦しみの中で鍛えた集中力・持続力は、最後に“勘”の冴えと“いきおい”に乗ることで勝負の幕は下りる

 遊び楽しむスポーツと違って、勝ち負けを争うスポーツにおいては、古いものを大切にして現代なりに見直し、創り出すことの重要性について、その一端を話させていただきました。