このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。


 『 山 鹿 語 類 』               山鹿素行 1


「 士は一日をもって極みとなす」
「大丈夫、ただ今日一日の用を以って極となすべきなり。一日を積みて一月に至り、一月を積みて一年に至り、一年を積みて十年とす。十年あいかさなりて百年たり。一日なお遠し、一時にあり。一時なお長し、一刻にあり。一刻なおあまれり、一分にあり。ここを以っていうときは、千万歳のつとめも一分より出で、一日に極まれり。一分の間をゆるがせにすれば、ついに一日に到り、おわりには一生の懈怠(けたい)ともなれり」

山鹿素行は、奥州会津藩六十万石の蒲生下野守忠郷の居城下若松で生まれた。藩主の後継問題から父と共に江戸に出、林羅山の門下に入り頭角をあらわす。二十代ですでに 由井正雪と双璧を並べ、三千人以上の門弟を抱えるが、幕府への仕官はならず、縁あって播州赤穂藩に招かれ、教学を施した。この縁が後の忠臣蔵四十七士討ち入りへとつながるのである。 素行の教えは兵儒一致の学問であり、その文武両道の精神からなる「山鹿流兵法」は当時の日本の兵法を席巻した。

訳せば、 「大丈夫たるもの士としての心がけは、今日ただ一日の用をつとめることがたいせつである。死生はすべて天命であるが、人がよく生きるということは、自分に与えられた時を一分一秒もゆるがせにせず、、それぞれに充実してつとめはげむことである。その一瞬一瞬の積み重ねが、一日となり一年となり何十年となるのであるから、士としての覚悟は『一日だけの命』と思いきって真剣に学び、働くことである」と言う。
また、一瞬一瞬を大切にするとともに日常の小事も大切にするよう教えている。

「初学の者たちは、まず大きな事柄は大切にして改めるが、小事小節をゆるがせにしがちであるけれども、すべて小が積って大となるものである。それゆえ、小を尽くさなければ大は通ぜないものである。ことに大事は皆が気付くので過ちにいたらないが、小事は人も心にかけず、おのれも省みることが無いために、必ずあやまりが積るものである。天下国家のために爵禄をすてて白刃のもとに身を抛つ(なげうつ)者は少なくないが、日用事物の則を心得て、これにかなうようにつねに行なう人は、古今とも少ないものである」

一瞬一瞬、日常の小事を大切にすることが「勇気」をつくり、不動心をつくることにつながる。この教えの実践が、かの赤穂浪士をつくったのである。この教えを我々も家庭教育、あるいは部活動の場にしっかりと活かしたいものである。