このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。


 『 謫居童問 学問  』               山鹿素行 2





 「問て云く、事のある時に心得べき様いかが侍るや」

 「答て云く、先ず卒忽なることなく詳かに思慮すべし。これを敬て思と云也。敬を思ふときは、その身の知慮学習の淵底のこらず発見す。学習の及ばざらずして、、知慮の足らざるは、是非の了簡に及ばざること也。 我分際の知を尽くすなり。されば此心得なき輩は、軽率にしてつつしまず、思慮をつくさざるゆへに、常に後悔するとも及ばざる也。」

 「次に敬思ていまだ落著仕りがたき事は、其道々の功者又は我より先覚の学者、又は古今の事を知れる者に相談いたして、これに了簡せしめ、我亦察してきはむべし。此の相談人なくんば、彌我知をつくし、古今の事を思慮して、其通にきはむべきものなり。未熟未練の知にして、我意を立べからざるなり。必ず相違多かるべし。」

 「謫居童問」 は、素行が 「聖教要録」 を著して朱子学を非難したとして幕府の嫌疑を受け、赤穂藩に流謫の身となった時に、大石内蔵助や磯谷平助などの少年たちを相手に、初学の教導をした時の講義録である。当時四七才の素行は、大石らの問いに、実に自由自在に答えている。
 
 「なにか身に一大事の起こった時は、どういう心構えでのぞめば良いのでしょうか」

 「まず、何事でも詳しく考えて、かるはずみにしないということだ。論語に修己以敬とあるように、『敬』することがすべての物事を順調に運ぶための源であり、敬の心を持って詳らかに考えれば、今までに学んできたことが、すべてヒントとなって頭に浮かんでくるものだ。考え方が足りないというのは話にならないが、とにかく自分の経験の範囲内、自分の立場の範囲内で目一杯考えてみることだ。軽率に考えたり、自分の立場をわきまえなかったりすると、必ず後で後悔することになる」

 「次に、一生懸命考えて、それでも答えがでない場合は、その道の才徳のある者や諸先輩に相談して、その意見を参考にし、さらに熟慮を重ねると、だいたいはうまくいくであろう。よしんば相談する相手がいなくとも、我が知を尽くし、古今の事例を考慮すれば、あたらずといえども遠からずで、大失敗に及ぶことはあるまい。未熟の考えで情のまま我意を通せば、必ず失敗するものである」

 判断を誤らないためには、絶えず学んでは問い、問いては学び、熟考しなければならない。「正しい知識を得る」ことによって、昨日までの正しいという思いが、今日は正しくないという思いに変わることもあり得る。 つまり、人生死ぬまで勉強、ということ。そして軽はずみな行動をしないということ、慎重の上にも慎重を重ね行動することが、すべてにおいて安泰の秘訣であるということだろう。