このコーナーは東洋の古典から神髄部分を抜き出し、現実生活の指針として役立てようと思い開設しました。



屈伸の利 『講孟箚記』  吉田松陰


紀元前4世紀頃、戦国時代の中国に燕という国があった。その燕が後継ぎ問題で揺れたときに、斉国の宣王が燕を攻撃してわずか50日間でこれを陥れた。このとき燕は戦意がなく、城門も開いたままであった。しかし2年後、燕の人々は太子を立てて仁政を敷き、賢者を招いて国力を復活させ、秦・楚・三晋諸国と協力してついに斉を破ることに成功した。
 吉田松陰は燕に見られる戦法を、兵学上から「屈伸の利」と呼んでいる。すなわち、一時味方の勢いを屈しておいて機を待つことと、機を得るや一気に力を持って目的を達成することとの効果を良く会得しているのでなければ、奇勝を得ることはできないという。


 例では、敵を自国の奥深くまで進攻させ疲弊させることと、民衆の愛国心を喚起することで、状況が味方に有利に展開するまで我慢している。いわゆる「大決断」と「大堅忍」とがなければ絶対にやり遂げることができない。もし、はじめに少しばかりこの策を実行する意志があって、途中でまたやめてしまう時は、その害は計り知れないと言っている。それ故に、松陰は孟子の言葉を引用し「疑うなかれ」すなわち、信じて断行することが肝腎であると結んでいる。
 これはスポーツや実社会においても応用できる。スポーツにおいては、どんな試合でも「流れ」というものが必ずある。相手の「流れ」の時は何をやっても裏目に出ることが多く、下手に逆らうよりもジーッと我慢していたほうが良い。そして自分に「流れ」が来た時、一気にたたみかける。この時はなにをやってもうまくいく。すなわち『屈伸の利』は我慢するための総合的なディフェンス力が伴ってはじめて成功する策なのである。