猿倉山城跡
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築城 天正8年(1580)
築城者 三木休庵?島村丑之助?
場所 上新川郡大沢野町船倉
交通 北陸自動車道富山ICより国道41号線で20分

猿倉山城は戦国時代に飛騨三木氏が越中侵攻ため築城し拠点となり、その頃の猿倉山一帯は飛騨の領地で、三代目の城主までは飛騨三木氏の家老(重臣)が務めていたが、後に弓庄城の属城となる。廃城に関しては不明。
ふるさと創成事業(風車展望台)で、ほとんどの城跡は破壊される。一億円で文化遺産を破壊したと一時話題になる。
管理人の個人的見解ですが、婦中の安田城を膨大な税金を使って復元したり、ふるさと創成事業の一億円を使って、風車展望台を作る為に猿倉山城跡を破壊するのはどうかと思う。
城跡の破壊は困るが、城を復元をする必要は無く、城跡の現状を守るだけで良いと思う。

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