波佐谷城跡
南加賀「小松地区」トップ

築城 不明
築城者 一向一揆方の武将
場所 小松市波佐谷町
交通

築城時期は不明だが一向一揆方の武将の築城と言われている。
南加賀一向衆(小松城)の支城になる。
天正8年(1580)柴田勝家(北の庄城)の攻撃で落城し、村上勝頼(信長→秀吉家臣)が小松城の出城として城代を置く。

慶長3年(1598)
小松城の村上氏(信長→秀吉家臣)は越後の本庄に転封され、波佐谷城は廃城になる。
慶長2年(1597)山口宗永(小早川秀秋の家臣)が4万4千石の居城として大聖寺城に入城する。
慶長3年(1598)丹羽長重(信長→秀吉家臣・松任城)が12万石の居城として小松城に入城する。
慶長3年(1598)利長は北加賀を相続して北加賀・越中1国を領する。
慶長5年(1600)利長は新たに南加賀・能登1国を領し、加賀・能登・越中3国を領する。
慶長5年(1600)小松城代に前田直之(1万1千石・加賀八家直之系の祖)がなる。
慶長5年(1600)大聖寺城代に津田(遠江守)重久がなる。
北加賀 河北郡・金沢・松任
南加賀 小松・大聖寺

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