松任城跡
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築城 鎌倉時代初期
築城者 松任範光
場所 松任市古城町
交通 JR北陸本線松任駅下車徒歩5分

松任城は松任範光(加賀守護職富樫氏の一族)の築城で、後に北加賀一向衆(金沢御坊)の中心的前線基地(本陣)になる。

天正5年(1577)上杉謙信(春日山城)に攻められ落城
天正6年(1578)手取川の戦いで、一向衆の若林長門守(小松城)が在城する。
天正8年(1580)徳山則秀(柴田勝家の家臣・北の庄城)が在城する。
天正11年(1583)前田利長は越前府中城から松任城に入城する。
天正13年(1585)前田利長は越中領主になり守山城に転封する。
天正15年(1587) 丹羽長重(丹羽長秀嫡男)は北の庄城から松任城(4万石)に入城する。
慶長3年(1598)丹羽長重(丹羽長秀嫡男)は小松城(12万石)に転封する。
慶長5年(1600)赤座吉家(前田利長家臣・加賀藩の城代)が城代となる。
慶長19年(1614)松任城は廃城になる。
元和元年(1615)一藩一城となる。

城跡は現在のおかりや公園になり、案内板と石碑がある。
■松任地区は4万石になる。
■前田利長は(加賀能登越中)は徳川氏との戦いに備えて小松城を前線基地とし、松任城を本陣とし、松根城を詰城か奥城として重要視したのではないだろうか。
■前田利長は高岡城加賀能登越中の要(中心)として築城したが、元和元年(1615)一藩一城となり、未完成のまま廃城にする。

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