小松城跡
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築城 天正年間
築城者 若林長門
場所 小松市丸の内町
交通 JR北陸線小松駅下車徒歩5分

南加賀一向衆(浄土真宗)の土豪(豪族・在地領主)若林長門の築城で、大聖寺城の支城になる。

天正7年(1579)
柴田勝家(北の庄城)に攻められ落城し、村上頼勝(織田信長家臣)が城主になる。

天正8年(1580)
村上頼勝は小松城の出城(波佐谷城)に城代を置く。

慶長3年(1598)
豊臣秀吉(大阪城)の領地替で、上杉景勝(春日山城)が会津(会津若松城)へ移封され 村上頼勝(信長→秀吉家臣)は越後村上(本庄城)に移る。

慶長3年(1598)
丹羽長重(丹羽長秀嫡男・松任城)が12万石の居城として入城する。

慶長5年(1600)
関ヶ原での西軍の丹羽長重は東軍の前田利長(加賀藩2代藩主・金沢城主)と浅井畷で合戦して敗退する。

慶長5年(1600)
利長は新たに南加賀・能登1国を領し、加賀・能登・越中3国を領する。

*小松城は前田利政(小丸山城主)嫡男の加賀藩家老前田直之(前田利長家臣・加賀八家)が城代となり、南加賀の小松地区を治める。

大聖寺城には津田(遠江守)重久(前田利長家臣・加賀藩の城代)が城代になり、南加賀の大聖寺地区を治める。

小松城代前田直之(1万1千石)は加賀八家直之系の祖になる。
小松城は加賀藩の南の要になる重要な位置にあった。

寛永16年(1640)
前田利常(加賀藩3代藩主・48才で隠居)は隠居城(小松城)として幕府から承認され、明治まで加賀藩は特別に2城(元和元年(1615)1藩1城)を持っていた。

前田利常は徳川幕府との合戦を想定して 小松城を改修・増築して渦郭式(防備重点)にする。金沢城の倍近い約56万uの広大なもので、浮かぶ城(天空の城)小松の浮城と呼ばれる。

城跡は現在の市役所・公民館・公園・小松高校などになっている。
■寛永16年(1640)
*前田利常(加賀藩3代藩主)の次男利次は分家して富山支藩(10万石)の初代藩主になる。
*前田利常(加賀藩3代藩主)の3男利治は分家して大聖寺支藩(7万石)の初代藩主になる。
*前田利常(加賀藩3代藩主)は隠居城(小松城)を築城する。
前田利常は幕府の加賀藩取り潰しを警戒して行動していたのだろうか?

■前田利常(加賀藩3代藩主・加賀本藩系図)までは「御三家」と同格(大名の家格)の扱いだったが、前田光高(加賀藩4代藩)以降から加賀藩の権威は低下する。
加賀藩初代藩主 前田利家 従二位 大納言 筑前守
加賀藩2代藩主 前田利長 従三位  中納言 肥前守
加賀藩3代藩主 前田利常 従三位  中納言 肥前守
加賀藩4代藩主 前田光高 正四位下 左近衛権少将 筑前守
加賀藩5代藩主 前田綱紀 従三位 参議 加賀守


加賀南の守城

城名 年号 築城者 備考
大聖寺城 鎌倉時代後期 狩野氏 加賀南の守城 本城
小松城 天正年間 若林長門 支城
虚空蔵城 冨樫幸千代 支城
今江城 冨樫氏 支城
津葉城 鎌倉時代 狩野氏 出城

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