小島城跡
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築城
築城者 佐渡氏? 小島職鎮?
場所 射水郡山田村小島
交通 富山地鉄バス小島下車後徒歩15分

小島城は小島にあった山城で、豪族佐渡氏?小島職鎮(在地領主・地頭職)の築城か?小島城は増山城(射水・婦負郡守護代・神保長職)の支城になる。

小島甚介(小島職鎮嫡男)は寺島牛之助(小島職鎮次男・富崎城)の兄になる。

寺島牛之助は神保長職(射水・婦負郡守護代・増山城)の家老になっている。

永禄6年(1563)上杉勢(春日山城)に攻められ落城する。廃城に関しては不明。茗ケ原・御坊の山中に城があったが、今では城の跡形は見あたらない。
■小島職鎮(神保長職重臣)は天正10年(1582)上杉景勝に味方して 富山城を一時占拠したが、織田方(佐々成政)に攻められ敗走 その後は不明
■小島甚介(小島職鎮嫡男)は後に槻尾秀安と名乗り、神保長職→天正5年(1577)上杉謙信→天正年()神保長住→天正9年(1581)上杉景勝→天正9年(1581)佐々成政→天正15年(1587)前田利家と主君を代える。
■神保長職重臣の寺島職定(池田城)と寺島牛之助(富崎城)は姻戚関係なのか?

個人的な解釈ですが、小島甚介は小島職鎮の嫡男になり、次男牛之助は寺島職定の養子?か姻戚?になると寺島牛之助になる。

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