春日山城跡
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築城 南北朝時代
築城者 長尾為景(越後守護代)
場所 新潟県上越市中屋敷
交通 JR高田駅バス春日山下下車徒歩15分

春日山城(鉢ヶ峯城)は長尾為景(越後守護代)が南北朝時代に築城し、越後府中を守る拠点で、後に上杉家三代(為景・謙信・景勝)の居城になり、越後250万石を領する。
支城には与板城があり、属城には宮崎城(朝日町)・松倉城(魚津市)・魚津城(魚津市)などがある。
天文17年(1549)
上杉謙信は春日山城を250万石の大城として改修する。

天正4年(1576)
上杉謙信は松倉城富山城守山城を攻め落として越中を制圧する。

天正5年(1577)
上杉謙信は七尾城を攻め落として能登を制圧する。

天正6年(1578)
上杉謙信死去 越後は上杉景勝が跡を継ぐ。

慶長3年(1598)
領地替で、上杉景勝は会津若松城(福島県会津若松市)に転封される。
後に出羽米沢城(山形県米沢市)に移る。
上杉家の石高は越後(250万石)→会津若松(120万石)→出羽米沢(30万石から15万石)に減る。

慶長3年(1598)
堀秀治(堀 秀政嫡男)は北の庄城から30万石で入城する。
堀秀治は平城の福島城(直江津市)に移り、約100年の歴史がある春日山城は廃城となる。
■上杉謙信は関東管領職を相続している。関東管領の居城にふさわしい大城で、甲斐の武田信玄との川中島の決戦は有名。
■人気コミック『花の慶次』の主人公になった前田慶次郎(前田利家の義理の甥)は、前田家出奔後、しばらく京都に居た頃かぶき者として知れわたるが、直江兼続(上杉家家老)の勧めで、上杉景勝の家臣となる。

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