富崎城跡
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築城
築城者 神保長職・神保平八郎右衛門
場所 婦負郡婦中町富崎
交通 市バス長沢回り八尾行き「富崎」降車、徒歩5分

富崎城は滝山城とも呼ばれていて、神保長職が築城し、増山城の支城になり、神保長職の家老(寺島牛之助)が守将をしていた。 富崎城の出城には大道城小島城・大林城・小泉城・下瀬砦がある。小島城主の小島甚介は寺島牛之助の兄になる。

富崎城と日宮城は、増山城の守城の役目をしていたが、永禄3年(1561)と永禄5年(1563)の2回にわたって上杉謙信に攻められ落城する。

後に富崎城は神保長職の重臣(小島甚介・寺島牛之助兄弟)が再建するが、寺島牛之助は佐々成政(富山城)→前田利家(金沢城)の家臣となる。
元和元年(1615)一藩一城の前に廃城になる。天正13年(1585)羽柴秀吉(長浜城)の越中出陣以降に廃城か?
■富崎城は滝山城とも呼ばれているが、増山城の出城になる滝山城(砺波市増山)とは地域的に言って別だと思うが?増山の滝山城に関しての資料が乏しい・・・同じか?
■水越越前守勝重(神保氏重臣)は築城の才能があり、富山城、滝山城の普請に関与した。
神保家臣が上杉、武田に分かれた時の武田派で、滝山城に籠城するが、元亀3年(1572)上杉謙信の攻撃を受け落城し敗走する。
■神保長職重臣の寺島職定(池田城)と寺島牛之助(富崎城)は姻戚関係なのか?

個人的な解釈ですが、小島甚介は小島職鎮の嫡男になり、次男牛之助は寺島職定の養子?か姻戚?になると寺島牛之助になる。
■寺島牛之助の子孫の屋敷は現在金沢市大手町に寺島蔵人邸(加賀藩士・禄高450石の中級武士)として一般公開されている。
住所 金沢市大手町10番3号
入館料 大人 300円
開館時間 9時30分〜17時まで

寺島蔵人邸( 他サイトリンク)

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