松波城跡
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畠山氏系図

築城
築城者 畠山義統の3男義智
場所 石川県珠洲郡内浦町松波
交通 JR北陸線能登鉄道松波駅下車徒歩2分

本家畠山氏(七尾城 分家松波畠山氏(松波城 分家棚木畠山氏(棚木城
西谷山内畠山氏(西谷山内城

畠山義統(畠山氏系図)の3男義智が築城し、畠山氏(七尾城)の支城になる。
松波城は能登内浦の中心で、畠山氏の分家(松波畠山氏)として奥能登(内浦地方)を治め、出城に末次城がある。
天正5年(1577)9月上杉謙信()の家臣長沢光国に攻撃を受け松波義親((6代)は自害する。松波城は炎上して廃城になる。
城跡は現在の城址公園となっていて案内板・石碑がある。

後に加賀藩(金沢城)の支配になり、松波畠山氏の子孫は宗玄家十村役になっている。
■義智(初代)→義成(2代)→義遠(3代)→常重(4代)→義龍(5代・松波氏)→義親(6代)と続く
■松波城は文明2年(1470)に築城開始して文明6年1474)2月に完成。4年かけて相当縄張りは広く能登畠山氏(七尾城)の詰城として築城したのか?
■畠山義統(畠山氏系図)の次男左門は分家して奥能登内浦(宇出津地方)を治め棚木畠山氏(棚木城)となる。

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