石川県の城跡 金沢城
加賀前田家
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加賀藩の城代
高山右近






築城 天正8年(1580)
築城者 佐久間盛政
場所 金沢市丸の内1-1
TEL
交通 JR金沢駅から小立野方面行バス兼六園下車徒歩2分

金沢城公園 名勝兼六園 前田利長公墓所 瑞龍寺

金沢城は金沢御坊(尾山城)と言われ、北加賀一向衆(浄土真宗本願寺)の拠点となっていたが、柴田勝家(北の庄城)に攻め落とされる。

天正8年(1580)に佐久間盛政(織田信長家臣・今江城)が新たに築城し、金沢城とする。

天正13年(1585)に前田利家が小丸山城から入城する。

慶長5年(1600)加賀・能登越中・越前(一部)を治める加賀藩の居城になる。支城には末森城松根城松任城小松城などがある。

加賀藩は122万石の大大名となり、外様だが、全国最大の藩であり、徳川御三家と同格の扱いで、城主と呼ばず国主(大名の家格)と呼び、本家前田家は14代続き、富山支藩13代・大聖寺支藩14代・七日市支藩12代も共に明治まで続く。

名勝兼六園は金沢城の外郭として城に属した庭です。

平成13年に二の丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門などが復元され、金沢城公園となり、平成14年にはNHKの『利家とまつ』にちなみ加賀百万石博『平成14年3月23日(土)〜平成15年1月5日(日)』が行われていた。
石川門・三十間長屋
2003/1/12日
二の丸菱櫓・五十間長屋の入場料は300円です。
■従兄弟の子供の結婚式が金沢城大手門向かいの金沢ホテルにあり、帰りに見学してきました。
■122万石の内容は加賀(38万石)・ 能登(26万石)・越中・(63万石)になり、5万石は天領になるのか?
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