七尾城跡 |
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築城 | 正長元年(1428年)室町時代初期 |
築城者 | 畠山満慶 |
場所 | 七尾市古城町 |
交通 | JR七尾線七尾駅下車バス「古府」降車徒歩2時間 |
本家畠山氏(七尾城) | 分家松波畠山氏(松波城) | 分家棚木畠山氏(棚木城) |
西谷山内畠山氏(西谷山内城) |
案内板 | 本丸跡石垣 | 本丸跡石垣 |
七尾城(松尾城)は畠山家初代当主畠山満慶(能登・越中・紀伊・河内の守護職の兼任)が築城し、近くには西谷山内城・江曽山城・二穴城・松波城・野崎砦・後藤山砦・千野舛形山砦などがある。天正5年(1577)越後の上杉謙信(春日山城)の攻略に耐えたが、能登守護代遊佐続光(府中館)の内応により開城(七尾城の開城)させられ、能登の名門13代続いた畠山氏は滅亡する。 文禄2年(1593)利政は能登1国領主になり、七尾城に入城する。 慶長5年(1600)9月関ヶ原の合戦に前田利政(七尾城)は東軍に参加せず能登1国を没収される。 天正9年(1581)前田利家(菅原館)が入城する。 七尾城代には利家の兄の前田安勝(前田家系図)がなる。 翌年天正10年(1582)〜天正17年(1589)にかけて小丸山城を築城し、慶長2年(1597)七尾城は廃城になる。 現在の七尾城跡は石垣しか現存せず、公園化になっていて、城山のふもとに七尾城史資料館がある。 |
七尾城跡ふもとに10台ぐらいの無料駐車場がある。 |
■畠山義統(畠山氏系図)の次男左門は分家して能登内浦(宇出津地方)を治め 棚木畠山氏(棚木城)となる。 ■畠山義統(畠山氏系図)の3男は義智分家して能登内浦(松波地方)を治め 松波畠山氏(松波城)となる。 ■前田利家は七尾城に入城する前に織田信長(安土城)から能登口羽咋地区を与えられ居館として菅原館を築館する。 ■府中館の遊佐続光(能登守護代)と蓮沼城主の遊佐氏(砺波郡守護代)は畠山氏(能登・越中・紀伊・河内の守護の兼任)の家臣として同じ遊佐一族になる。 ■かぶき者として天下に知れる前田慶次郎(伊勢長島城主滝川一益の従兄弟の子)は前田安勝(前田利家の兄)の娘と結婚している。 |