DISCOVERY NADAURA IN HIMI

大境洞窟詳細説明

大境洞窟は、潮流や波による浸食によってできた海蝕洞窟です。大きさは、幅16m、高さ8m、奥行き35mで、もっとも奥にはわき水があります。南西方向に開口しているため、北風がさえぎられ、人が住むのには適した環境であったと考えられます。

洞窟の標高は約5mあり、縄文時代前期の海進時に形成され、海水面が現在の高さ近くになった縄文時代中期から人が利用しはじめたようです。

                   きく りひめ

 江戸時代初め頃の史料に、「菊理姫神」を祀る岩屋として洞窟のことが記録されており、地元では古くから信仰の場になっていました。

 この洞窟から古代の遺物が出土することは、古くから知られていたようですが、大正7年(1918)、洞窟内にある白山社の改築工事のため地盤を掘り下げた

                    せきぼう

ところ、多数の人骨や土器、大きな石棒などが出土し、多くの注目を集めました。

                                    しばたじょうえ

 新聞記事を見てただちに現地を訪れた東京帝国大学人類学教室の柴田常恵は、洞窟が貴重な遺跡であることを説き、その年の秋、改めて発掘調査が行われました。これが、日本で最初の洞窟遺跡発掘調査となります。

                    はせぺことんと こがねいよしきよ まつむらあきら

 調査は柴田が中心となり、長谷部言人・小金井良精・松村瞭ら当時を代表する研究者が参加しました。また柴田の要請によって富山県庁から技師が派遣され、洞窟や地層の測量を担当しました。

 大境洞窟は落盤によって地層が明確に分かれており、縄文土器を含む文化層が、弥生土器を含む文化層よりも下位にあることから、両者の新旧関係を裏付ける結果を得ることができました。

 また、出土した多数の人骨が、抜歯や身体装飾の研究に利用される一方、弥生時代の資料が豊富なため、富山県の弥生時代を代表する遺跡として位置づけられています。

上記内容は氷見市教育委員会生涯学習課よりの資料より抜粋