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高尾城(北加賀金沢地区) |
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守護名 | 代々 | 在職期間 | 時代 | 関係 | 備考 |
富樫高家 | 初代 | 建武2年(1335)〜 | 南北朝初期 | ・・ | 加賀 |
富樫氏春 | 2代 | 不明 | ・・ | ・・ | 加賀 |
富樫昌家 | 3代 | 不明 | ・・ | ・・ | 加賀 |
富樫満春 | 4代 | 〜嘉慶元年(1387) | ・・ | ・・ | 加賀 |
斯波氏 | ・・ | 嘉慶元年(1387)〜応永21年(1414) | 南北朝後期 | 室町幕府管領 | 加賀 |
富樫持春 | 5代 | 応永21年(1414)〜嘉吉元年(1441) | 南北朝後期 | ・・ | 加賀 |
富樫教家 | 6代 | 嘉吉元年(1441)〜嘉吉元年(1441) | 室町初期 | 満春嫡男 | 加賀 |
富樫泰高 | 7代 | 嘉吉元年(1441)〜文安4年(1447) | 室町初期 | 満春次男 | 加賀 |
北加賀守護 | 在職期間 | 南加賀守護 | 在職期間 |
富樫成春 | 文安4年(1447)〜長禄2年(1458) | 富樫泰高 | 文安4年(1447)〜寛正5年(1464) |
赤松政則 | 長禄2年(1458)〜文正元年(1466) | 富樫政親 | 寛正5年(1464)〜寛正6年(1465) |
守護名 | 代々 | 在職期間 | 時代 | 関係 | 備考 |
富樫幸千代 | 10代 | 応仁2年(1468)〜文明6年(1474) | 室町後期 | 成春次男 | 加賀 |
富樫政親 | 11代 | 文明6年(1474)〜長享2年(1488) | 室町後期 | 成春嫡男 | 加賀 |
富樫泰高 | 12代 | 長享2年(1488)〜文亀4年(1503) | 室町後期 | 満春次男 | 加賀 |
富樫稙泰 | 13代 | 文亀4年(1503)〜享禄4年(1531) | 戦国初期 | 泰高嫡男 | 加賀 |
富樫晴貞 | 14代 | 天文4年(1535)〜元亀元年(1570) | 戦国後期 | 稙泰次男 | 加賀 |
★加賀は越前に属していた。加賀一国になってから富樫高家は初代加賀守護職になる。 |
余談 富樫左衛門尉は鎌倉時代初期に在庁官人(守護代官)として、文治3年(1187年)源義経・弁慶主従が奥州平泉へ落ち行く時に通った安宅の関(石川県小松市安宅町 )で詰問する。 富樫左衛門尉と富樫高家は姻戚関係かどうかは?資料不足で不明。 |
★嘉吉の乱が起こり、富樫一族が守護職をめぐって両派に分裂して、成春(教家嫡男)が北半国守護(河北郡・石川郡)と泰高(満春次男)が南半国守護(江沼郡・能美郡)守護職を二分することで決着する。 |
★赤松氏(北半国守護)が播磨守護に移った後、加賀一国の守護職を回復するが、成春嫡男の富樫政親(高尾城)と成春次男の富樫幸千代(大聖寺城)の間で権力闘争が起きる。 |
★富樫政親(高尾城)は長享2年(1488年)二十万の一向衆軍に攻められ死亡する。 |
★富樫政親の敗北後に富樫泰高・富樫稙泰・富樫晴貞は加賀守護職になっているが、加賀は北加賀一向衆(金沢御坊)・南加賀一向衆(大聖寺城)に支配され守護職としての実権は無い。 |
武将 | 在職期間 | 時代 | 居城 | 城代 |
一向衆 | 元亀元年(1570)〜天正8年(1581) | 安土桃山 | 金沢御坊 | ・・ |
佐久間盛政 | 天正8年(1581)〜天正11年(1583) | 安土桃山 | 尾山城 | ・・ |
前田利家 | 天正11年(1583)〜慶長3年(1598) | 安土桃山 | 金沢城 | 前田利久 |
前田利長 | 慶長3年(1598)〜慶長4年(1599) | 安土桃山 | 金沢城 | 横山長知 |
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