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七尾城(中能登七尾地区)
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能登畠山家臣団 能登守護職一覧 畠山氏系図 能登の合戦

守護名 代々 在職期間 時代 守護所 備考守護代
北条朝時 ・・ 貞応2年(1223)〜? 鎌倉中期 ・・ 守護兼務
不明 ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
名越時有 ・・ 正応3年(1290)〜永仁6年(1293) 鎌倉後期 放生津 管領
北条宗長 ・・ 永仁6年(1293)〜? 鎌倉後期 ・・ 管領
不明 ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
吉見宗寂 ・・ 建武3年(1336)〜建武3年(1336) 南北初期 能登部城 在地領主
吉見頼顕 ・・ 建武3年(1336)〜建武3年(1336) 南北初期 能登部城 在地領主
吉見頼隆 ・・ 建武3年(1336)〜貞和2年(1236) 南北初期 府中館 守護兼務
吉見氏頼 ・・ 貞和4年(1349)〜貞和5年(1350) 南北初期 府中館 在地領主
桃井盛義 ・・ 貞和5年(1350)〜観応2年(1351) 南北初期 金丸城 ・・
吉見氏頼 ・・ 観応2年(1351)〜康暦元年(1379) 南北後期 府中館 在地領主
本庄宗成 ・・ 康暦元年(1379)〜嘉慶3年(1384) 南北後期 若山田所 在地領主
守護職空白 ・・ 嘉慶3年(1384)〜嘉慶3年(1398) 南北後期 ・・ ・・
畠山基国 ・・ 嘉慶3年(1398)〜応永13年(1405) 南北後期 ・・ 管領
畠山満慶 初代 応永13年(1405)〜永享4年(1432) 室町初期 七尾城 能登畠山家
畠山義忠 2代 永享4年(1432)〜享徳4年(1455) 室町初期 七尾城 遊佐忠光
畠山義統 3代 享徳4年(1455)〜明応6年(1497) 室町後期 七尾城 遊佐統秀
畠山義元1次 4代 明応6年(1497)〜明応9年(1500) 戦国初期 七尾城 遊佐統秀
畠山慶致 5代 明応9年(1500)〜永正2年(1506) 戦国初期 七尾城 遊佐統秀
畠山義元2次 6代 永正2年(1506)〜永正12年(1515) 戦国初期 七尾城 遊佐秀盛
畠山義総 7代 永正12年(1515)〜天文14年(1545) 戦国後期 七尾城 遊佐秀頼
畠山義続 8代 天文14年(1545)〜天文20年(1551) 戦国後期 七尾城 遊佐続光
畠山義綱 9代 天文21年(1552)〜永禄9年(1566) 戦国後期 七尾城 温井紹春
畠山義慶 10代 永禄9年(1566)〜天正2年(1574) 戦国後期 七尾城 飯川光誠
畠山義隆 11代 天正2年(1574)〜天正4年(1576) 戦国後期 七尾城 飯川義清
畠山春王丸 12代 天正4年(1576)〜天正5年(1577) 戦国後期 七尾城 長綱連

★吉見氏は鹿島郡鹿西町(能登部城)の在地領主(地頭)から能登守護職になっている。

★本庄宗成(・・・)は珠洲郡若山田所(珠洲市馬緤浦)の在地領主(地頭)だが、吉見氏の後しばらく能登守護職になっている。後に畠山基国氏(府中館)が能登守護職になり、珠洲郡若山田所は畠山家臣の遊佐氏(守護代)が管理する。
★管領畠山基国は河内・紀伊・山城・越中(能登も含む)の守護職。


能登畠山氏(能登守護職)系図




守護職崩壊後能登を支配した領主(城主)

領主(城主) 在職期間 時代 居城 城代
上杉謙信 天正5年(1577)〜天正6年(1578) 安土桃山 春日山城 謙信家臣
織田信長 天正6年(1578)〜天正9年(1581) 安土桃山 安土城 菅屋長頼
前田利家 天正9年(1581)〜天正17年(1589) 安土桃山 七尾城 前田安勝
前田利家 天正17年(1589)〜文禄2年(1593) 安土桃山 小丸山城 前田知好
前田利政 文禄2年(1593)〜慶長5年(1600) 安土桃山 小丸山城 高畠定吉
前田利長 慶長5年(1600)〜慶長10年(1605) 安土桃山 金沢城 前田利好

☆前田利家(七尾城主) 前田安勝(七尾城代) 利家の兄
★前田利家は天正10年(1582)〜天正17年(1589)にかけて小丸山城を築城する。
★慶長2年(1597)七尾城は廃城になる。
☆前田利家(小丸山城主) 前田知好(小丸山城代) 利家の3男
☆前田利政(小丸山城主) 利家の弟 高畠定吉(小丸山城代) 芳春院の甥
☆前田利長(金沢城主) 利家の嫡男 前田利好(小丸山城代) 安勝の嫡男


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