高尾城跡
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加賀守護職一覧

築城 南北朝時代
築城者 冨樫氏
場所 金沢市高尾町
交通 金沢駅バス光が丘住宅行高尾南1丁目下車15分

富樫氏(加賀守護職)の築城で、別名冨樫城と言い富樫氏の本城になるが、防衛専門で天守や石塁は無かった。城跡は県教育センター山頂部の背後になる「古城」と呼ばれる平坦な地域にあったが、地面が削られてほとんど形跡は無い。富樫氏は高尾城の近くの富樫館に居館していた。
支城には高松城津幡城松任城山川(館)砦がある。

加賀一国の守護職を争って成春嫡男の富樫政親(高尾城)と成春次男の富樫幸千代(大聖寺城)の間で権力闘争が起きる。

冨樫氏が加賀一国守護職になってから本城を今江城に移す。後に本城を富樫城に戻すが、長享2年(1488年)二十万の一向衆軍に攻められ落城し、富樫政親は自害する。

富樫氏は藤原利仁将軍の流れの加賀斎藤氏の一族で、石川郡冨樫荘を本拠にして、平安時代後期から朝廷の在庁官人(守護代官)として、建武2年(1335)(南北朝初期)から加賀守護職(加賀守護職)として一向一揆に敗れるまで、加賀に君臨していた。
■富樫左衛門尉は鎌倉時代に在庁官人(守護代官)として、文治3年(1187年)源義経・弁慶主従が奥州平泉へ落ち行く時に通った安宅の関(石川県小松市安宅町 )で詰問する。
■富樫氏(加賀守護職)の守護代には山川高藤(山川(館)砦)がなっているが、能登守護代の遊佐続光(府中館)のような強い権力は持っていなかった。

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