佐和山城(佐保城)跡 |
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築城 | 建久年間(1190〜1199) |
築城者 | 佐保時綱 |
場所 | 滋賀県彦根市佐和山町 |
交通 |
建久年間(1190〜1199) 佐保時綱の築城か? 元亀2年(1571 )姉川の合戦後に丹羽長秀(信長→秀吉家臣)が5万石で佐和山城に入城する。 天正3年(1575) 丹羽長秀は後瀬山城(10万石)に転封する。 天正10年(1582) 本能寺の変で羽柴秀吉(姫路城)が支配する。 天正11年(1583) 堀 秀政(信長→秀吉家臣)が近江長浜城から5万石で入城する。 天正13年(1585) 堀 秀政(信長→秀吉家臣)は北の庄城(18万石)に転封する。 天正13年(1585) 堀尾吉晴(秀吉家臣)は5万石で入城する。 天正18年(1590年) 遠江国浜松(12万石)を与えられ転封する。堀尾吉晴から豊臣吉晴と改名する。 天正18年(1600) 石田三成(秀吉家臣)が19万4千石で入城する。 慶長8年(1603) 井伊直政の嫡男井伊直勝が彦根城を築き佐和山城は廃城となる。 |
天正10年(1582) 丹羽長秀は「本能寺の変」・「山崎合戦」後に所領の分配によって若狭国1国と近江国の滋賀・高島の2郡を領す。近江国高島郡大溝城主に転封する。 天正11年(1583) 丹羽長秀は「賤ヶ岳合戦」で、若狭国の他に越前国1国と加賀国の能美郡江沼郡の2郡が加増され、越前北の庄城に入る。合計123万石の領主になる。 |
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