長浜城(今浜城)跡
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築城 天正2年(1574)
築城者 羽柴秀吉
場所 長浜市公園町
交通 JR北陸本線長浜駅徒歩?分

長浜城は以前今浜城と呼ばれ、京極道誉(北近江守護職)が本城として築城するが、跡継ぎ闘争で廃城になる。
北近江は今浜城の支城になる小谷城主浅井長政(京極道誉の家臣)が治める。
浅井長政は北近江守護職となる。

天正元年(1573)
木下藤吉郎(織田信長家臣)は小谷城に入城する。北近江(12万石)を領す。
この頃に木下藤吉郎から羽柴秀吉に改名する?

天正2年(1574)
羽柴秀吉は便利な今浜城跡に長浜城を築き地名も今浜から長浜に改め小谷城は廃城になる。

天正8年(1580)
羽柴秀吉は姫路城に転封する。

天正9年(1581)
堀 秀政(信長→秀吉家臣)が2万5千石で入城する。

天正9年(1581)
堀 秀政(信長→秀吉家臣)は・・・に転封する。

天正10年(1582)
柴田勝豊は丸岡城から長浜城に入城する。

天正11年(1583)
「賤ヶ岳合戦」で、柴田勝家(北の庄城)・柴田勝豊は羽柴秀吉(姫路城)に敗れ滅亡する。

天正11年(1583)
堀 秀政(信長→秀吉家臣)が・・・・・から入城する。

天正11年(1583)
堀 秀政(信長→秀吉家臣)が佐和山城(5万石)に転封する。

天正13年(1585)
山内一豊の最初の持城として2万石で入城する。

天正16年(1588)
山内一豊は遠洲掛川城(5万石)に転封する。

文禄4年(1595年)
内藤(紀伊守)信正(家康家臣)が入城する。

慶長20年(1615年)
内藤信正(家康家臣)が高槻城(4万石)に転封する。

長浜城は羽柴秀吉→堀 秀政(信長・秀吉家臣)→柴田勝豊(柴田勝家の甥)→堀 秀政(信長・秀吉家臣)→山内一豊(秀吉・家康家臣)→?→内藤信成(家康家臣)が城主となるが、豊臣氏滅亡後の長浜は井伊直勝(家康家臣)の支配となる。

慶長8年(1603)
天秤櫓などは彦根城に移築して廃城になる。
■山内一豊は
天文14年(1545)織田氏の本宗家筋になる織田信安(尾張岩倉城主)の家老山内盛豊の次男として生まれる。
天正元年(1573)の頃に秀吉に仕える。
天正13年(1585)長浜城主(2万石)山内一豊の最初の持城になる。
天正16年(1588)遠洲掛川城主(5万石)になる
慶長5年(1600)関ヶ原の戦で、徳川側に味方して浦戸城主(土佐24万石)になる。
慶長8年(1603)高知城を築城する。
明治4年(1871)山内家は廃藩置県までの272年間土佐藩を治めている。

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