龍門寺城跡 |
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築城 | 天正元年〜天正3年(1573〜1575) |
築城者 | 富田長重 |
場所 | 越前市(武生市)本町 |
交通 |
北の庄城 | 越前府中城 | 越前小丸城 | 龍門寺城 |
富田長重(信長家臣・安土城)が龍門寺を城として拡張する。朝倉攻め 越前一向一揆攻めの本陣となる。 天正3年(1575) 不破光治は柴田勝家(北の庄城)の与力として龍門寺城(3万3千石)に入城する。北の庄城の出城になる。 天正11年(1583) 賤ヶ岳合戦で羽柴秀吉(姫路城)に敗れた柴田勝家を、前田利家(越前府中城)が龍門寺城で迎える。 天正11年(1583) 不破光治は賤ヶ岳の合戦後に羽柴秀吉の家臣となる。 天正13年(1585) 木村常陸介(秀吉家臣)が府中領主となり、龍門寺城に入城する。 |
■柴田勝家は与力として前田利家(越前府中城)・佐々成政(越前小丸城)・不破光治(龍門寺城)の三人を越前府中に置いた事から府中三人衆と呼ばれた。 ■不破光治は斉藤龍興(斉藤道三嫡男・岐阜城)の代になり、織田信長(安土城)に仕える。 ■天正8年(1580)12月14日に不破光治は没したと言われているが不明? ■天正11年(1583)賤ヶ岳の合戦で、不破勝光(不破光治の嫡男)が出陣していたのか? |
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