時国館跡 |
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築城 | 文明15年(1483)頃 |
築城者 | 時国 |
場所 | 輪島市町野町南時国 |
交通 | JR金沢駅から北鉄特急バス輪島行きで2時間 |
山門 | 母屋 | 庭園 |
大納言(関白)平時忠は源氏に敗れ 文治元年(1185)奥能登(珠洲市大谷)に流罪になり、没するが、時忠の子 時国は館を構え時国氏と名乗る。後に近隣の村々300石を統治する。 時国家は田畑・、製塩・石切・木炭・桶細工・鍛冶など幅広い業種を手掛けて使用人の数は150人〜200人程抱え 八百石・千石の北前船を持ち相当財力があった。 時国家(12代・時国藤左衛門の代)は寛永11年(1634)に下時国家が分家して 本家は上時国家(200石)として天領庄屋を務め、分家は下時国家(100石)として加賀藩の十村役を務める。 |
県の重要文化財、名勝庭園 |
2006年11月12日(日曜日) |
■時国家は外能登地区領主の温井氏(天堂城)・長氏(穴水城)の時代には土豪・豪族(在地領主・地頭職)の手代だったが、加賀藩(金沢城)初期には300石の名主になっている ■300石は現在の価値(1石は150s=75,000円)にすると 2、250万円になる。 ■志賀町の平氏(末吉城)と時国家は同じ平性を名乗っている。姻戚関係があるのか? ■田中元首相(ロッキード裁判)を裁いた裁判長は時国家の身内らしい? |
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