穴水城跡
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長氏一族の城と館 長氏系図 年号表

築城 建久年間(1190〜 1199)鎌倉時代初期
築城者 長谷部(長)信連
場所 穴水町城山公園
交通 JR北陸線穴水駅下車徒歩50分

本家長氏(穴水城) 川尻長氏(正院川尻城 南志見長氏(南志見城
三井長氏(姫ヶ城 山田長氏(山田城 此木長氏(此木長氏館
高瀬長氏(高瀬城 川島長氏(川島館

説明板 石碑 本丸跡
穴水町役場から少し行った所に長谷部神社内に穴水町郷土資料館がある。
入場料は100円 ←安い
長谷部神社の真上に城跡があり、徒歩で15分ぐらい。
穴水町役場 穴水郷土資料館

穴水城は輪島の在地領主・地頭の長谷部(長)信連の本城として築城する。長谷部(長)信連は穴水城を本城にする前は熊木城(鹿島郡中島町)を本城にしていた。
鎌倉幕府の信頼が厚い長谷部(長)信連の勢力は相当なもので、珠洲郡・鳳至郡・鹿島郡に至る能登半郡を支配していた。南加賀の江沼郡(塚谷保)にも領地があったらしい。
長氏は奥能登の名門中の名門になる。

穴水城の館は川島館此木長氏館田鶴ヶ浜館があり、出城・支城には荒屋城高瀬城甲山城南志見城山田城正院川尻城がある。

長氏は畠山四家老(能登畠山家臣団)として奥能登内(穴水町)一帯を領して 奥能登外(輪島市・長氏一族の城と館)の一部も領していた。

長連龍は天正5年(1577)上杉謙信(春日山城)の七尾城攻略(能登の合戦)で、穴水城を奪われ神保氏張(守山城主)の客将になっていたが、天正6年(1578)菱脇の戦い(能登の合戦)で勝利した恩賞として織田信長(安土城)から鹿島半郡(鳥屋・鹿島町・鹿西町)、能登口東地区を与えられ福水城(羽咋市福水町)を本城にして 鹿島半郡の支配強化のため徳丸城などを改修する。
長連龍は隠居所として田鶴ヶ浜館に移る。

後に長連龍(長氏21代目当主)は前田利家(金沢城)の与力となり、前田家の家老(加賀八家)長家の祖(3万3千石)となる。

穴水城は加賀藩の家臣が城代となっていたが、元和元年(1615年)一藩一城の前(1583年頃)に廃城になる。1583年頃には奥能登の城・砦は必要性が無くほとんど廃城になっている。

城跡は現在の桜の名所の城山公園になっている。
2003年3月6日(木)
城跡には石碑があり、城跡からは穴水町が一望出来る。駐車場・トイレあり。
■奥能登は
長氏・温井氏三宅氏平氏
畠山四家老(能登畠山家臣団)が
治めていた。
温井氏・三宅氏は
菱脇の戦で失脚する。
後に長氏は
前田利家の与力となり、
加賀藩の中で
独立国的な立場になる。

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