天堂城跡
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築城 文明初年
築城者 温井俊宗(畠山氏家臣)
場所 輪島市別所谷町
交通

天堂城は温井俊宗(畠山氏家臣)の築城で、輪島に本拠を置く温井氏の本城になり、支城・属城には麻ヶ嶽(砦)城小竹砦がある。七尾滞在時の居館として温井町に温井館がある。

輪島市三井町の姫ヶ城(渡合城)は天堂城の出城と言う説もある。
(輪島市に三井町があり、穴水町?にも三井と言う地名がある。)

温井氏は外能登(輪島市)一帯を治め 能登畠山政権(七尾城)四家老(能登畠山家臣団)の1人となる。

天正5年(1577)七尾城の開城(能登の合戦)の翌年天正6年(1578)遊佐続光(府中館)・温井景隆・三宅長盛(崎山城)は長連龍(穴水城・この頃は守山城客将)と菱脇(能登の合戦)の戦いで敗北し、越後(春日山城)に敗走する。
天堂城は無血で長氏(この頃の本城は福水城)に明渡している。廃城に関しては不明だが山城の為この頃に廃城になったのか?

天正10年(1582)本能寺の変で、温井景隆・三宅長盛(崎山城)兄弟は能登を奪回しようとして越後(春日山城)から能登に入るが、佐久間盛久(当時の金沢城主)に殺害される。
■天堂城は奥能登の山城としては縄張りは広く七尾城クラスの規模か?松根城クラスか?詰城として築城したのか?
■奥能登は
長氏・温井氏・三宅氏平氏
畠山四家老(能登畠山家臣団)が
治めていた。
温井氏・三宅氏は
菱脇の戦で失脚する。
後に長氏は
前田利家の与力となり、
加賀藩の中で
独立国的な立場になる。


温井氏の系図(桃井直常の子孫) 桃井直常(庄ノ城


三宅氏(崎山城)系図

★ 温井氏は越中守護職(南朝)桃井直常(庄ノ城)の子孫と言われ、越中守護職(北朝)斯波義将(守山城)に追われ能登輪島に来て温井(慶宗)氏を名乗る。
★元々能登輪島に桃井氏の一族が居て桃井義綱(直常の次男)と合流したのかもませんが仔細不明。
★温井続宗の次男長盛は三宅総広(崎山城)の養子となり、姻戚を結び能登口東地区(福水城)まで勢力を拡大する。

■輪島市(輪島塗り、輪島朝市で有名)に行って来ました。 
2007年2月28日(水)

輪島港 漁船団 新しくなった輪島駅
鴨ヶ浦(波の花) 漆芸美術館 漆器訓練所
朝市 民俗資料館 能登空港

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