「神幸祭」

今日(7月17日)
京都三大祭り
のひとつ祇園祭の神幸祭を見に行ってきました。

神幸祭、(おいで、7月17日夕刻八坂神社発)と
還幸祭、(お帰り、7月24日夜9時30分頃帰社)
共に祇園石段下で3基の御輿が揃い踏みします。

神幸祭は四条寺町の「お旅所」まで、3基の御輿が各氏子町内を回ります。
還幸祭では「お旅所」を出発後、祇園祭をプロデュースした地「神泉苑」跡の
「御供社」(三条堀川西)を経て、八坂神社に帰ります。

朝からの凄い雷雨で山鉾巡行はずぶ濡れでしたが、さすがに神さんの
お出まし頃には 綺麗に晴れました。

去年からバラバラに巡行していた3基の御輿が四条東山(石段下)に集まり
同時に差し上げ担いでから、それぞれ担当地区に行くようになりました。
18時20分から交通規制をして、八坂神社から四条寺町の
お旅所(20時30分着)まで巡行します。

祇園祭と言えば、宵山、山鉾巡行が有名ですが、同じ17日の夕刻からの
御輿巡行の祇園祭を送ります。

平安時代初期の全国的疫病対策で、八坂神社に祭られたスサノウミコトを
乗せた御輿の地元回りです。

八坂石段下周辺を広い範囲で、車を遮断します。

写真の説明です。

この頃はまだ片側規制

何時間も前から、八坂神社の石段で待っている人
重装備、暑かったと思います。この頃はまだ片側規制です。

3基同時に差された所 3基同時に差された所

みどころは、3基の御輿を同時に差し上げ、上下に揺らす所です。
多少離れていても、車の騒音が無い分「かん」の音が掛け声以上に聞こえます。

3基が同時に、このように差し上げられます
御輿を台座に乗せて、巡行の無事を祈り、お払いを神妙に受けます。
3基同時に差された所です。

3基同時に差された所 3基同時に差された所

東御座、中御座、西御座の3基ですが、以前は出くわすと狭い京都の
道故争いが絶えず、出発時間をずらして巡行していたそうですが,
解体修理が済んだ昨年から、祭りを盛り上げる為、出発と帰りだけは行動を
共にするようになりました。

四条通りの巡行 四条通りの巡行

バックは全面広告市営バス バックは全面広告市営バス

久世稚児、還幸祭の時、神泉苑跡の御供所に、参拝する大役が待っています
バックのバスは今、京都には不釣合いと、論議を生んでいる、全面広告の京都市営バスです。

神社のお参りと比べ、「御輿見物」は神さんとの距離が近いです。
地元のお年よりは御輿に手を合わせて拝みますが、
祭りですので、御輿の担ぎ手と同じく、声を出して、楽しまれるのが、いいと思います。

八坂神社から西に向かって、西御座と中御座
それぞれ、花見小路を南、大和大路を北へ
この東御座は東山新橋から、二条寺町へ向かいます。

各氏子町内の巡行 各氏子町内の巡行

看板に明かりが点き始めた頃、各氏子町内の巡行が始まります。
祇園の点き始めたネオンを尻目に帰りました。
さい帯同につき・・・ろんろ

今回「みんとん支局」のプレスとして
あつかましく撮影しましたが、3基を撮るいい構図は難しいでした。
御輿の場合は私服を着た関係者もいるので、正々堂々と動き
回っていたら、別に警官も分からなかったようです。(^^)

話は変わりますが以前、真如堂三井財閥の菩提寺と言った話から
他の財閥はどうなんだろう?と考えましたが、
大覚寺か?その近くのお寺が、住友家の菩提寺との話を聞きました。
法然院も住友さんのお墓があり、管主が神戸の葬式に行っているのを
テレビのニュースで見た事があります。

7月24日の還幸祭(お帰り)はここ

と〜
京都在住のろんろさんから説明文と写真を送って頂きました。
どうも有難う御座います。
m(_ _)m

2002/7/19更新

余談になりますが
この前海釣りに行った時メジナ(グレー)が釣れたので
昆布ジメにして、ろんろさんに送ったところ
「レモンを絞って、松前焼き風にして、ぽんず無しで美味しくいただきました。」
と〜
神幸祭の写真と一諸に送ってもらいました。


美味しそうなので、今度松前焼き風にして食べます。(^^)

2002/7/22更新
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