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目黒 雅叙園

石川県羽咋郡下甘田村出身の創業者・細川力蔵が、1928年(昭和3年)に東京・芝浦にある自邸を改築し、純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経営する。

東京府荏原郡目黒町大字下目黒字坂下耕地一帯および岩永省一邸(りそな銀行代表取締役社長の岩永家の敷地は20,000坪を超える広大なもので、そこに、桂離宮を模した数奇屋風書院造りの和館が連なる)の建造物を入手する。

増改築を進めて1931年(昭和6年)に目黒に「目黒雅叙園」と名付けた料亭を開業した。これは、日本国内最初の総合結婚式場(要出典)でもあった。

本格的な北京料理や日本料理を供する料亭だったが、メニューに価格を入れるなど当時としては斬新なアイディアで軍人や政治家、華族層以外の一般市民の料亭利用者を増やした。

また、中華料理の店で一般に見られる円形のターンテーブル(二層構造の円形テーブル上部に料理を載せ回転させることで取りやすくするもの)も1931年(昭和6年)細川力蔵の考案で、その後に中国大陸へ伝わったもの、という説もある。

雅叙園 雅叙園
雅叙園 雅叙園

■目黒雅叙園を立ち上げた細川力蔵(1889〜1945)は石川県下甘田村米浜(現・志賀町)の農家の六男として生まれる。

大阪尋常小学校を10歳で終え、15歳で上京し神田の風呂屋で住み込みで働き始めた。

23歳で独立し、芝区芝一丁目で銭湯と瓦斯コークスの販売を開始。

中野貫一の長男・忠太郎と知り合い、忠太郎は芝浦に来るたびに力蔵を風呂の三助として指名した。芝浦で土地払い下げがあることを力蔵から聞いた忠太郎は1919年に16万坪を450万円で購入した。

力蔵はその謝礼として忠太郎から大金と当地の管理を任され、1920年に芝浦商事株式会社を設立して不動産業を始める。

1922年には葉山の芝崎海岸に洋館、和館に部屋数約50室という宏大な別邸を建設。

関東大震災の翌年、南浜町会(芝浦一丁目会)の会長に就任、1928年には芝浦の自宅を中華料理屋にし「芝浦雅叙園」として開業、1931年に目黒雅叙園を始めた。

雅叙園 雅叙園
雅叙園 雅叙園

■創業者・細川力蔵亡き後は、合資会社雅叙園として同族による経営が行われてきたが、運営会社であった雅秀エンタープライズは2002年(平成14年)に経営破綻し、外資ファンドリップルウッド・ホールディングスに買収された。

雅秀エンタープライズは、現在の株式会社目黒雅叙園として再建され、2004年(平成16年)5月にはワタベウェディングがその株式の66%を取得して傘下におさめた。

ワタベウェディングは2005年(平成17年)1月に残り34%も取得(合計100%)、目黒雅叙園を完全子会社とした。


■神田町駿河台に時代劇でお馴染み天下のご意見番大久保彦左衛門(家康・秀忠・家光の三代の将軍に使える)の上屋敷があり、晩年は港区白金台の下屋敷(1万2,000坪)に住んだ。
下屋敷跡は料亭壺中庵から現在有名な港区白金台の八芳園(庭園結婚式場)になっている。

八芳園 八芳園
八芳園 八芳園