今江城(御幸塚城)跡
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築城
築城者 冨樫氏
場所 小松市今江町
交通

今江城は別名御幸塚城と言い高尾城の冨樫氏が加賀一国守護職になってから築城し、本城にする。後に二十万の一向衆軍に攻められ落城し、富樫氏は滅亡する。
冨樫家滅亡後に南加賀一向衆の拠点の大聖寺城の支城になる。

天正4年(1576)柴田勝家(北の庄城)与力の佐久間盛政(織田信長家臣)がj城主になる。
天正8年(1580)佐久間盛政は金沢城を築城し入城する。
天正8年(1580)村上頼勝(信長→秀吉家臣・小松城)の家臣が城代になる。
慶長3年(1598)丹羽長重(信長→秀吉家臣・松任城→小松城)の家臣が城代になる。
慶長5年(1600)前田利家は関ヶ原合戦の時に加賀の西軍勢力を鎮圧するため、山崎長徳・奥村栄明(加賀八家)・太田長知をこの城に在城させる。
今江城は江戸時代初期に廃城になり、加賀藩の収納蔵として利用される。

城跡は現在の今江小学校で校庭に今江城址の石碑がある。
御幸塚城の名は花山法皇の御幸があったことが由来している。
天正13年(1585)
前田利家は北加賀領主として小丸山城から金沢城入城する。
慶長5年(1600)
関ヶ原の合戦の時に丹羽長重(小松城)は前田利長(金沢城)と浅井畷で合戦して敗退する。
関ヶ原の合戦の時に山口宗永(大聖寺城)は前田利長(金沢城)に攻められ自害する。
慶長5年(1600)
利長は新たに南加賀・能登1国を領し、加賀・能登・越中3国を領する。


加賀南の守城

城名 年号 築城者 備考
大聖寺城 鎌倉時代後期 狩野氏 加賀南の守城 本城
小松城 天正年間 若林長門 支城
虚空蔵城 冨樫幸千代 支城
今江城 冨樫氏 支城
津葉城 鎌倉時代 狩野氏 出城


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