放生津城跡
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築城 正応3年(1290年)鎌倉後期
築城者 名越時有(越中守護)
場所 射水市(旧新湊市)放生津
交通

城跡 案内板 石碑

鉢伏城とも奈呉城とも呼ばれ、鎌倉時代後期に名越時有(北条一族)によって越中守護所として築城して、別館の二塚城と共に越中を支配していたが、鎌倉幕府と共に名越氏は滅亡する。後に庄ノ城の桃井直常(越中守護)は越中守護所を放生津城に移す。

南北朝時代に越中守護になった畠山持国(能登・越中・紀伊・河内の守護を兼任)の守護所になり、畠山持国は越中を三つに分け、砺波郡を遊佐氏、射水・婦負郡を神保氏、新川郡を椎名氏の3人の守護代を置いたが、神保氏(射水・婦負郡守護代)の力が強くなり、越中の戦国時代がこの頃から始まる。
2003年9月4日(木曜日)に訪れる。
現在の放生津小学校裏に放生津城跡石碑がある。

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