富山城跡
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築城 天文元年(1543)
築城者 水野勝重・神保長職(射水・婦負郡守護代)
場所 富山市城跡公園内
交通 JR富山駅下車徒歩10分

遊佐氏(高岡・砺波郡守護代) 神保氏(射水・婦負郡守護代) 椎名氏(新川郡守護代)

天守閣 天守閣 天守閣
天守閣は郷土博物館
になっていて
西側が入り口になる。

休館日 月曜日
入場料 350円
説明板 天守閣入り口

富山城は南北朝時代に畠山持国(越中守護・放生津城)から射水・婦負郡守護代を命じられた神保長職が築城する。
富山城の出城には大峪(おおがけ)城今泉城白鳥城があり、支城には鶴ヶ城小出城がある。

天正9年(1581)
佐々成政(越前府中小丸城)は富山城主になる。

天正12年(1583)
佐々成政・神保氏張(守山城)は前田利家(金沢城)と末森の合戦(末森城)で戦うが敗北する。

天正13年(1585)
神保氏張(守山城)と共に新川郡(魚津城)に移る。

天正15年(1587)
佐々成政(魚津城)は神保氏張と共に肥後熊本に移る。

天正16年(1588)
佐々成政は一揆の責任を問われ肥後熊本の所領没収、摂津尼崎で切腹する。

天正13年(1585)
富山城主は前田利長(利家嫡男)(加賀本藩系図)になり、城代には横山長知(加賀八家)がなる。

慶長10年(1605)6月
2代加賀藩主利長(金沢城)は利常(利家4男)に藩主を譲り、隠居城として富山城に再度入る。

慶長14年(1609)
富山城火災のために利長は魚津城に避難し、関野ヶ原城(高岡城)を築城して移る。

寛永16年(1640)
3代加賀本藩前田利常(利家の4男)の次男前田利次は、分家して富山藩10万石の初代藩主(富山支藩系図)となり、富山藩の居城として改修し、十三代232年間存続した。
2002年2月10日(日曜日)に訪れる。
富山市城跡公園内にあり、仕事の途中に寄ったので、時間が無くゆっくり見ていないので、暇な時に尋ねたいと思います。

■富山城築城に関して、水野勝重が築城し、神保長職が改築したと言う説や、水野勝重と神保長職は同一人物と言う説もある。

■加賀藩支藩の富山藩10万石(婦負郡)は呉羽山から常願寺川付近までが、富山支藩領内になるが、実質は8万石と言われている。

■下新川郡・中新川郡・上新川郡・黒部・魚津・滑川は加賀藩領内になり、射水郡・砺波郡・小矢部・高岡・新湊・氷見は加賀藩領内になる。

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