庄ノ城跡
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築城 正平年間(南朝)1346〜 1370
築城者 桃井直常(越中守護)
場所 砺波市庄川町庄
交通

南北朝時代の桃井直常(南朝越中守護)が築城し居城になる。庄ノ城の詰城には千代ヶ様城があり出城には寺家新屋敷館があり、支城には一乗寺城松根城があり、属城には野尻城井口城がある。後に桃井直常は居城を増山城に移し、庄ノ城は桃井直常の本城にするが、幕府(北朝)に背向き越中守護になった斯波義将(守山城)に敗れる。
後に神保長職(増山城)の支城になる。廃城に関しては不明。
桃井直常は北畠顕家との南都合戦「南北朝時代・延元3年(1338)」で大勝し、延元4年(1339)若狭・伊賀・越中守護となる。
足利直義党の中心的人物で、足利直義の死後も各地で足利尊氏勢と合戦、足利基氏の庇護下に入り、正平22年(1367)基氏の死去で出家し幕府に復帰する。翌年正平23年(1368)幕府に背向き越中・能登に攻め入ったが、斯波義将に敗れるが、能登輪島に逃れて子孫は温井氏(天堂城)と名乗る。


桃井氏「若狭・伊賀・越中(能登も含む)守護職」系図 温井氏(天堂城



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