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桜井家は十村役(加賀藩の末端機構)で、十の村を単位に地方の豪農(庄屋)に代官所としての役を与えたものです。
現在は人は住んでいません。未公開
桜井家先祖の桜井三郎左エ門は天正12年(1584)の「末森合戦」で神保氏張(守山城主)・佐々成政(富山城主)軍の手薄なところや位置を前田利家軍(金沢城)に案内をした人物で、末森城の戦いでの勝利の功労者になる。嘉永3年(1850)江戸時代後期に子孫が、十村役として高松から羽咋柳田へ移る。 |
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桜井家古文書(県指定文化財)は羽咋市歴史民俗資料館に保管展示してある。 |
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2004年8月29日(日曜日) |
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「末森合戦」で前田利家軍が勝利していなかったら加賀百万石は存在しなかったのではないだろうか
桜井家は現在は人は住んでいないので、敷地や屋敷は荒れ放題になっている。
地元の人は数十年前まで、桜井家当主を桜井様と呼んでいた。 |
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□越路野地区(上中山・千路・円井)などの7ヶ村は天領になっていた。
□能登の天領は61ヶ村になり、石高は1万3千石になる。 |
□羽咋市内の十村役9家 |
桜井家 |
羽咋市柳田町 |
〇〇家 |
羽咋市掘替新町 |
〇〇家 |
羽咋市 |
〇〇家 |
羽咋市 |
〇〇家 |
羽咋市 |
〇〇家 |
羽咋市 |
〇〇家 |
羽咋市 |
〇〇家 |
羽咋市 |
〇〇家 |
羽咋市 |
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