守山城跡
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神保氏張について 神保氏系図 越中守護職一覧 3-2-4

築城 応安5年北朝(1371)南北朝時代
築城者 斯波義将(越中守護)
場所 高岡市東海老坂
交通 市バス氷見行き「海老坂」降車徒歩30分。

説明板 城跡 守山城跡に綺麗な花が

守山城は松倉城(魚津市)・増山城(砺波市)と共に越中三大山城と言われている。

南北朝時代 斯波義将(越中守護)の越中守護所として築城する。

後に神保氏職(増山城)の居城となる。

後に神保氏張の居城となる。

天正4年(1576)
神保氏張(富山城主守山城主)は上杉謙信(春日山城)に攻め落とされ 織田信長は神保氏張を越中から追放する。

天正6年(1578)
神保氏張(織田信長家臣)は佐々成政(越前小丸城富山城)の与力となり、守山城主に復帰する。

天正12年(1583)
佐々成政(富山城)と神保氏張は末森の合戦(末森城)で前田利家(金沢城)に敗北する。

天正13年(1585)
佐々成政と共に新川郡(魚津城)に移る。

天正13年(1585)
加賀本藩(金沢城)2代藩主になる前田利長(利家の嫡男)が松任城から越中領主として守山城に入城して高岡の町を作り、隠居城として高岡城を築城する。
徳川時代に入ると守山城のような山城は廃城になる

加賀本藩2代藩主利長(利家の嫡男)と加賀本藩3代藩主利常(利家の4男)は兄弟だが、35才ぐらい年齢が違い、利常は子供の居ない利長の養子(加賀本藩系図)になる。
守山城城代の前田長種(加賀八家)は加賀本藩3代藩主になる利常(利家の4男)の幼少期に守山城で教育係りを務める。
2002年8月25日(日)に訪れる。
二上山の頂上(城山)に城跡があるが、急な昇り坂が多く車の運転には気を付けて下さい。駐車場は広いです。本丸跡から高岡市内や婦負郡・射水郡・砺波郡が一望できるが、街から頂上まで、歩くのは大変です。

■永禄9年1566神保氏職は上杉謙信(春日山城)に攻められ、富山城・守山城から追われ、本城の増山城に戻るが、落城し神保氏職は追放される。その後神保氏張(織田信長の家臣・神保氏張について)が守山城・富山城の城主になる。
■「能登神保総誠(勝山城)」と「越中神保氏張(守山城)」と「越中神保氏職(増山城)」は同じ神保一族(神保氏系図)になる。

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