高岡城跡
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築城 慶長14年
築城者 前田利長
場所 高岡市古城
交通 JR高岡駅下車徒歩15分

城跡説明板 本丸跡 高山右近銅像
石垣跡説明板 石垣跡 本丸石垣跡

慶長10年(1605)6月
加賀2代藩主前田利長(金沢城)は藩主を利常(利家4男)(加賀本藩系図)に譲り、隠居城として富山城に入る。

慶長14年(1609)
富山城火災のために魚津城に避難する。

慶長14年(1609)
高岡城(規模は金沢城より大きい)は利長の隠居城として加賀藩客将の高山右近高槻城末吉城)の設計(縄張り)によって作られる。
高岡は関野ヶ原と言われ高岡城築城と同時に金沢から職人など呼び城下町を形成し高岡と呼ぶ。

慶長19年(1614)5月20日
利長は高岡城は3国(加賀・能登・越中)支配には金沢城より重要視したが、高岡城で、6年間過ごし53歳で病死する。

築城途中の元和元年(1615)一藩一城になり、未完成のまま廃城になる。

高岡市前田町に前田利長墓所や高岡市関本町に前田利長(加賀2代藩主)の菩提寺(瑞龍寺)がある。
2002年8月9日(金曜日)に訪れる。
管理人の地元になり、高岡城本丸跡は古城公園本丸広場になっていて、前田利長の銅像・高山右近の銅像があり、市民の憩いの場になっています。子供が小さい時に公園内の動物園や桜見物に良く来ました。
■慶長19年(1614)5月20日
前田利長が死去する。
■慶長19年(1614)9月24日
徳川幕府は高山右近末吉城)をマニラに国外追放する。
高山右近の墓は羽咋郡志賀町(末吉城)にある。

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