加賀本藩系図

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前田家系図

■慶長5年(1600)
加賀本藩(122万石)の藩祖は前田利長がなり、14代前田慶寧まで続く。

■慶長20年(1615)
七日市支藩(1万石)の藩祖は前田利孝(利家の5男)がなり、12代前田利昭まで続く。

■寛永16年(1640)
富山支藩(10万石)の藩祖は前田利次(加賀本藩3代藩主利常の次男)がなり、13代前田利同まで続く。

■寛永16年(1640)
大聖寺支藩(7万石)の藩祖は前田利治(加賀本藩3代藩主利常の3男)がなり、14代前田利鬯まで続く。

★元禄5年(1692年)
大聖寺新田分藩(1万石)大聖寺2代藩主利明の次男(利昌)は1万石で、分藩(大聖寺新田藩)するが・・仔細省略・・1代で廃藩になる。

*このサイトでは加賀本藩(122万石)の藩祖は前田利長で、開祖は前田利家としています。


加賀本藩年表

★天文6年(1537)
利家は利昌(前田家系図)の四男として尾張荒子城に生まれる。

★弘治4年(1558)
利家は22歳で10才年上のまつ(芳春院)を妻にする。

★永禄4年(1561)
織田信長は朝倉孝景(一乗谷城)・浅井長政(小谷城)連合軍と戦い勝利する。

★永禄5年(1562)
利家とまつ(芳春院)の間に嫡男利長が生まれる。

★永禄9年(1566)
木下藤吉郎は墨俣一夜砦(岐阜県大垣市墨俣町)を築く。

★永禄10年(1567)
織田信長は稲葉山城を岐阜城と改名する。

★永禄12年(1569)
利家は32才で尾張荒子城主になる。

★元亀元年(1570)
利家は尾張荒子城から近江長浜に移る。

★天正元年(1573)
木下藤吉郎→羽柴秀吉は(織田信長家臣)は小谷城に入城する。

★天正2年(1574)
羽柴秀吉は長浜城を築城して小谷城を廃城にする。

★天正3年(1575)
利家は越前府中城を築城する。利家初めて城持ち大名になる。
尾張荒子城は廃城になる。

★天正4年(1576)
織田信長は安土城を築城する。

★天正8年(1580)
羽柴秀吉は長浜城から姫路城に入城する。

★天正9年(1581)
利家は能登羽咋地区領主になり、越前府中城から菅原館に入城する。
利長は越前府中城代になる。

★天正9年(1581)
利長19歳で、織田信長(安土城)の娘永姫(玉泉院)を妻にする。

★天正9年(1581)
利家は菅原館に入って半年後に能登1国領主になり、七尾城に入城する。
天正10年(1582)〜天正17年(1589)にかけて小丸山城を築城して入城する。

☆天正10年(1582)6月2日
本能寺の変で織田信長(安土城)は割腹自害49才

☆天正10年(1582)6月13日
山崎の合戦で明智光秀(坂本城)は死亡55才

☆天正11年(1583)6月
賤ヶ谷の戦いで、柴田勝家(北の庄城)は自害する。61才
柴田勝家方の北加賀領主佐久間盛政(金沢城)は敗戦後 山城槙島で斬罪になる。
羽柴秀吉(姫路城)の時代になる。

★天正11年(1583)
利家は北加賀領主・能登1国領主になり、七尾城から金沢城に入城する。
利長は越前府中城から松任城に入城する。

★天正11年(1583)
羽柴秀吉(姫路城)は大阪城を築城して入城する。

★天正11年(1583)
溝口秀勝(丹羽長重→信長→秀吉家臣)は大聖寺城に入城する。

★天正13年(1585)7月11日
羽柴秀吉は右大臣(従二位)関白になる。49才
利家は権大納言(従二位)になる。49才
*右大臣は律令制度の官僚3位の職。(大名の家格

★天正13年(1585)
羽柴秀吉(大阪城)の越中出陣で、佐々成政(富山城)は降伏する
利長は越中西部領主(高岡地区)になり、松任城から守山城に入城する。
丹羽長重(信長→秀吉家臣)は松任城に入城する。

★天正13年(1585)
佐々成政は減封され新川郡(魚津城)に移る
利長は越中1国領主になり、守山城から富山城に入城する。

★天正15年(1587)
羽柴秀吉(大阪城)は太政大臣(従一位)太閤になり、豊臣秀吉となる。51才
*太政大臣は律令制度の官僚最高位にある職。(大名の家格

★天正15年(1587)
豊臣秀吉(大阪城)の九州平定後に佐々成政(魚津城)は肥後熊本に移る。

☆天正16年(1588)
佐々成政は一揆の責任を問われ所領没収、摂津尼崎で切腹

★文禄元年(1592)3月12日
豊臣秀吉朝鮮出兵

★文禄2年(1593)
利政は能登1国領主になり、七尾城に入城する。

★文禄3年(1594)
豊臣秀吉は大阪城から伏見城に入城する。

★慶長元年(1596)9月2日
豊臣秀吉2度目の朝鮮出兵

★慶長2年(1597)
利政は七尾城から小丸山城を居城にする。
溝口秀勝(丹羽長重→秀吉家臣・大聖寺城主)は越後新発田へ移る。
山口宗永(小早川秀秋の家臣)が大聖寺城主になる

★慶長3年(1598)4月20日
利家が隠居し、家督を利長に譲る。
利長は北加賀を相続して北加賀・越中1国を領する。
利長は権中納言(従三位)になる。

★慶長3年
丹羽長重(信長→秀吉家臣)は松任城から小松城に入城する。

☆慶長3年(1598)8月
豊臣秀吉が伏見城で死去62才

☆慶長4年(1599)3月
利家大阪城で死去63(62)才

★慶長4年(1599)4月
利長は富山城から金沢城に入城する。

★慶長4年(1599)4月
徳川家康が豊臣政権の実権を取る。

★慶長5年(1600)9月
関ヶ原の合戦に前田利政(七尾城)は東軍に参加せず能登1国を没収される。

南加賀の小松領主(小松城)丹羽長重(丹羽長重→信長→秀吉家臣)と大聖寺領主(大聖寺城)山口宗永(小早川秀秋の家臣)は関ヶ原の合戦で、西軍に参加して、南加賀を没収される。

★慶長5年(1600)10月
利長は38才で、北加賀・越中1国と新たに南加賀・能登1国を領し、加賀・能登・越中3国を領する。

★慶長8年(1603)
徳川家康、征夷大将軍(従二位)に任ぜられ江戸幕府を開く
江戸幕府は幕藩体制を敷き、領国支配の大名を藩と呼ぶようになる。

★慶長8年(1603)
利長は加賀・能登・越中3国を領する122万石加賀藩の藩祖になる。利家は開祖か?

★慶長10年(1605)6月
利長(利家嫡男)は利常(利家4男)に藩主を譲り隠居する。隠居城として富山城に入城する。

★慶長14年(1609)
利長は富山城火災のために魚津城に避難する。隠居城として関野ヶ原(後に高岡となる)に高岡城を築城する。
利長は金沢城より、3国(加賀・能登・越中)支配には高岡城を重要視する。

★慶長19年(1614)5月20日
利長は高岡城で、6年間過ごして53歳で死去 権大納言(従二位)になる。


前田利長(加賀藩の藩祖)年表

★天正3年(1575)越前府中城に入城する。
★天正9年(1581)19歳で、織田信長(安土城)の娘永姫(玉泉院)を妻にする。
★天正11年(1583)松任城に入城する。
★天正13年(1585)守山城(越中西部領主)に入城する。
★天正13年(1585)富山城(越中1国領主)に入城する。
★慶長3年(1598)2代領主(北加賀領主・越中1国領主)になる。
★慶長4年(1599)金沢城に入城する。
★慶長5年(1600)加賀・能登・越中3国を領する。
★慶長8年(1603)加賀・能登・越中3国を領する122万石加賀藩の藩祖になる。
★慶長10年(1605)利常(利家4男)に藩主(加賀本藩)を譲り 富山城に入城する。
★慶長14年(1609)富山城火災のために魚津城に避難する。
★慶長14年(1609)高岡城に入城する。
★慶長19年(1614)53歳 高岡城で死去する。


前田利家の子供(6男11女)の姻戚者 まつ(芳春院)は2男9女を産む

★利家長女
幸は「前田長種(守山城代加賀八家)の室」

★利家嫡男
前田(肥前守→権中納言→権大納言)利長は加賀本藩2代藩主(122万石の藩祖)
慶長19年(1614)5月20日53才没

★利家次女
斎は「家臣中川光重(増山城代)の室」

★利家3女
摩阿は「豊臣秀吉の側室になる」→「公家の万里小路充房と再嫁し利定を出産する。利定は後に前田姓を名乗り加賀藩に仕える」

★利家4女
豪は「宇喜多秀家の室」

★利家5女
与免は「若狭小浜藩主浅野長政の嫡男幸長との婚約が決まっていたが、早死する」

★利家次男
前田(宗悦)利政(小丸山城主))は慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで徳川家康に協力方を要請されたが、西軍に味方し出兵しなかったため、封地を没収され、出家して宗悦と号し妻藉(蒲生氏郷の娘)と共に京都で住む。1633年7月14日没
前田利政嫡男直之(小松城代)は前田直之系(加賀八家)の祖になり、前田土佐守と呼ばれる。

★利家6女
菊は「豊臣秀吉の養女」

★利家7女
千代は「慶長2年(1597)年細川忠隆の室」→「慶長10年(1605)村井長次(2代目松根城代加賀八家)と再嫁」

★利家8女
福は「長好連の室→中川光忠の室」キリシタン信者
福(松寿院)は1661年長好連(穴水城加賀八家)が死去した為、中川光重(増山城代)の弟中川光忠と再婚するが、2年後に離婚する。

★利家3男
前田(修理)知好(小丸山城代)は7歳の時に越中の石動山で出家するが、慶長9年(1604)に還俗して前田利長の家臣となった。慶長15年(1610)に小丸山城代利好(安勝嫡男)の跡を継いで1万3千石の小丸山城代となる。元和2年(1622)京都に出家する。1682年6月20日39才没

★利家4男
前田(筑前守→中納言)利常は加賀本藩3代藩主
幼年期は前田長種(守山城代加賀八家)の元で育てられる。
慶長6年(1601)加賀本藩3代目に内定していた利常の正室に徳川秀忠の2女珠姫を迎える。1658年10月12日没
知好(利家3男)と利常(利家4男)は一才違い

★利家5男
前田(大和守)利孝は慶長9年(1604)江戸に前田家の人質として送られ、同じように人質として江戸にいた芳春院(利家の妻まつ)に育てられる。
芳春院と共に江戸にいた村井長頼(初代松根城代加賀八家)が前田利孝の教育係りになる。
前田利孝は大阪の陣には徳川秀忠に属して出陣する。
後に群馬上野七日市で陣屋を構え七日市支藩(1万石)の初代藩主となる。家臣は加賀本藩から出行し、1637年没する。
七日市支藩は12代前田利昭まで続く。

★利家9女
模知

★利家6男
前田(備前守)利貞は(1599)神谷守孝の養子となり神谷姓を称したが(1611)に前田姓に戻る。1620年8月2日没

★利家10女
喜意

★利家11女


その他 主な前田家姻戚者
★前田利益(慶次郎
前田慶次郎は前田利昌(加賀前田家系図)の嫡男利久(金沢城代)の養子で、前田利昌の3男安勝(七尾城代)の長女(?)を妻にしている。
天正13年(1585)阿尾城代になり、慶長3年(1598)上杉景勝(春日山城)の家臣となる。慶長17年(1612)大和刈布で没(73才)したのか?

★高畠(石見守)定吉
高畠定吉又は高畠織部(利家夫人芳春院の甥)は前田利昌(加賀前田家系図)の3女「津世」を妻にしている。高畠定吉は天正11年(1583)舟岡城代→文禄2年(1593)小丸山城代になる。禄高1万7000石、慶長8年(1603)没

★篠原(出羽守)一孝 加賀本藩家老
養父長重は芳春院の従弟
篠原一孝は利家の弟佐脇良之(加賀前田家系図)の娘を妻にしている。1616年7月22日没

★太田(但馬守)長知
長知の母は芳春院の姉
慶長7年(1602)利長の命を受けた横山長知(加賀八家)に殺害される。


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