魚津城跡
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築城
築城者

椎名康胤

場所 魚津市大町小学校グランド
交通

案内板 本丸跡

魚津城は松倉城の出城で、松倉城主椎名康胤は上杉謙信(春日山城)によって追放され、魚津城は越後上杉方の越中攻略の拠点になり、上杉謙信は佐々成政(富山城)の攻撃に備えて魚津城の詰城として天神山城を築城する。

天正13年(1585)
魚津城は佐々成政(富山城)から天正15年(1587)利家嫡男前田利長(守山城主金沢城)が支配し 松倉城に代わって越中東の本城となり、青山従五位下佐渡守吉次(加賀藩の城代)が、城生城代から魚津城代になり、松倉城や出城・支城に城番(青山佐渡守家臣)を置く。
青山家は何代も越中東(魚津市・黒部市・滑川市・新川郡)を治める。

元和元年(1615)一藩一城になり廃城になる。
城は現在の魚津市大町小学校のグランドに本丸が在ったと言われ、今はグランド隅に「魚津城址」の石碑がある。
■魚津城代2代目青山豊後守長正(養子)・3代目青山正次(長正嫡男)・4代目青山逸角(正次次男)

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