松根城跡
北加賀「金沢地区」トップ

築城 正平年間(南朝)1346〜 1370?
築城者 桃井直常(越中守護)?
場所 金沢市松根町
交通

松根城 朝日山城 一乗寺城 切山城

松根城は小矢部市と金沢市の境にあり、文明年間(1469〜1489年)の頃一向一揆の城として機能したとされ、天正12年(1584)に越中の佐々成政(富山城)が、前田利家(金沢城)と戦う為に大改修して杉山主計(佐々成政の家臣)が守備したが、朝日山城の村井長頼(加賀八家)によって一乗寺城と共に攻略される。

天正12年(1584)村井長頼(加賀八家)が修築して本城にして、朝日山城・切山城を出城、一乗寺城を支城にして、村井家は松根城代になり、松根城の出城・支城に城番(村井長頼家臣)を置く。
森本地区を収める。
元年(1615)一藩一城で廃城になり、城跡は現在公園になっている。

■松根城築城に関して、寿永2年(1183年)木曽義仲がここに陣を構えたと言われている。
正平年間(南朝)1346〜 1370庄ノ城の桃井直常(越中守護)か、蓮沼城の遊佐慶親(砺波郡守護代)が、県境の守りとして築城したと言われている。

■国道359号線から金沢国際ゴルフクラブを目指して進むと途中松根城の道しるべがあり、朝日山城も近くにある。
■村井長頼は金沢町奉行を務めるが、慶長5年(1600)人質となった芳春院(利家の妻・松)と供に江戸行き、慶長9年(1604)江戸に前田家の人質として送られた利家5男前田利孝(七日市支藩)を芳春院は育てる。村井長頼は前田利孝の教育係りを務めるが、慶長10年(1605)10月江戸で没する。

■村井長次(村井長頼の嫡男)は加賀八家村井家(1万6千5百石)の祖になり、村井家は森本地区を収める。村井長次は慶長10年(1605)利家7女「千代」を妻にしている。

■縄張りは広いので、徳川氏との戦いに備えて金沢城の奥城として村井長頼が増築した可能性もある。


加賀北東の守城

加賀南の守城
加賀北東の守城

城名 年号 築城者 備考
松根城 正平年間(南朝)1346〜 1370 桃井直常 加賀北東の守城 本城
一乗寺城 正平年間(南朝)1346〜 1370 桃井直常 物見的役割 支城
朝日山城 天正12年(1585)〜 1586廃城 村井長頼 関所的役割 出城
切山城 天正12年(1585) 前田利家 関所的役割 出城

加賀金沢地区トップに戻る