小谷城跡
県外城跡トップ

築城 大永4年(1525)
築城者 浅井亮政
場所 東浅井郡湖北町伊部
交通 JR北陸本線線河毛駅下車徒歩?分

京極高清(北近江守護職)の家臣浅井亮政が築城し、亮政・久政・長政と浅井氏3代の居城になる。

永禄4年(1561)
浅井長政は織田信長(岐阜城)の妹お市の方を妻に迎え織田家と縁戚関係を結ぶ。

元亀元年(1570)6月
同盟関係にある越前朝倉氏(一乗谷城)と共に織田・徳川連合軍と戦い勝利する。

天正元年(1573)
信長の越前侵攻で、織田軍に小谷城を攻撃され、浅井長政は自刃して、浅井氏は滅亡する。
越前朝倉氏(一乗谷城)も滅亡する。

天正元年(1573)
木下藤吉郎は小谷城に入城する。北近江(12万石)を領す。
この頃に木下藤吉郎から羽柴秀吉に改名する?

天正2年(1574)
便利な今浜城跡に長浜城を築き地名も今浜から長浜に改め小谷城は廃城になる。

慶長8年(1603)
天守・西の丸3重櫓は彦根城に移築する。
織田信長の妹お市の方は後に柴田勝家(北の庄城)の妻となるが、賤ヶ岳の合戦で自害する。
お市の方と浅井長政の間に出来た3人の娘は織田信長に預けられた。
長女は茶々(後の淀君)・次女お初(京極高次後瀬山城正室)・三女お江(徳川秀忠正室)
北近江(滋賀郡・高島郡・伊香郡・東浅井郡・坂田郡)の守護職は京極高清になる。
南近江(愛知郡・神崎郡・犬上郡・蒲生郡・甲賀郡)の守護職は六角氏(観音寺城)になる。

県外の城跡目次に戻る 滋賀県